不幸であり続けようとする意志

『短歌の作り方、教えてください』という本を読んでいたら、一青窈さんが自作の短歌(「災難な女であるほどむくむくぴょんと入る男気スイッチ」)によせて化療副作用

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一見、幸せそうな人って明るくて、決断力があり自分の考えを持ってたりしそうですが、実は幸薄女の方が意志が強いのかもしれないと思いました。自ら苦境に入ってゆき荒波にもまれる、というのは実際めんどうくさいので、それを受け入れる強さが幸薄女にはあるのかなあ、と
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 ということを俵万智さんへのメールに書いていた永久脫毛
 
「不幸自慢」という言い方があるけれど、あれはもちろん本人にそのつもりはなく、聞いた(読んだ)方が「自慢された」と感じるということだろう。実際不幸なんだから「大変だね」としか言いようがない。何か自分の幸運を責められているような気にさえなる。
 つまり、自分は相手が言っていることに対して何も言えない状況が「自慢されてる」という言い方に繋がってしまうんだろう。(それが幸せ自慢なら「いいねえ」としか言えないように)

 サスペンスドラマなどを観ている時に、見るからに幸薄そうな女性が出てきたら、絶対に「この人怪しい」と思う。あれも考えてみれば不思議だ。なぜ不幸せだと怪しいのか。薄幸な女性なら弱々しくて何もできない、むしろ被害者役ではないか名古屋機票
 
 その辺も、一青窈さんが言うところの「自ら苦境に入ってゆき荒波にもまれることを受け入れる強さを持った女性」ということなんだろう。不幸から脱出するための工夫をしたり、明るく振る舞うこともなく、常にそのまんま不幸を体現している人。本当に不幸であるということは別として、「不幸であり続けようとする意志」の感じられる人(あるいは自らそれを喧伝できる人)は圧迫感があって、やっぱりどこか自分よりも強いと思える。まあ、そう感じるのはこちらの都合かもしれないけれど。だからなにか、モヤモヤしちゃったりするんだろうな。
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