我が家の話

我が家は昔から仲が悪い。

今でも…ね。頂点3000

我が家から笑い声など聴こえることはなかった

父や姉が生前中は、母は父と、私は姉と、暇さえあれば言い争い。

姉は父に反抗的で、しかも母を憎んでいた。父から暴力を振るわれても母は庇わずに知らん降りしてたから。

だからかな?姉は高校を卒業したらすぐに東京の大学に進みましたよ。
家に居たくなかったんでしょう。
わかります。

母も母で苦しかったのかも。五夜神生精片

母は父から皿やビール瓶で頭を殴られ15針も縫う怪我をしてる。

知り合いの病院では転んだことにしてもらっていた。夫には憎しみ以外感じなかっただろう。

両親が言い争いを始めると、私はそっと階段の二段目まで降りて座りながら聞き耳を立てていた。

誰のことで喧嘩してるのか心配で。

私の話をしているのが聞こえると、『私が悪いんだ。』

姉の話をしていると『姉がまた反抗的な態度をしたんだ。またベルトで打たれたのかな…』そう考えていた。

姉だって相当辛かったと思う。
勉強、勉強で友達すらいなかった。
姉の場合はクラスメイトを家に入れることさえも許されなかった。

父が姉の勉強を見るときもあったが、バイアグラ酷かった。問題を間違えると尖った鉛筆の芯で姉の手の甲を刺すのだから。
大人になって姉が私に見せてくれた手の甲の芯の傷跡。『ここ、まだ芯が残ってるのよ』と。胸が痛かった。

姉は孤独であったに違いない。姉の部屋から嗚咽が何度も聴こえてたから。当時声も掛けられなかった。

父の教えは、子供は子供らしく勉強して口答えせず大人しく当主の言うことさえ聞いてればいいんだ。
そういう考え。

虚弱体質で頭の悪い私は人間の皮を被った獸。低脳という言葉はよく投げ掛けられていた。
『お前は努力する価値もない低脳』
『お前は幸せになれると思うなよ』

毎日聞いているうち、いつからか本当に私は駄目な人間なんだと思うようになっていた。

諦める悔しさは、いつの頃からか消えていて、負ける悔しさも感じなくなっていた。

父は父で仕事でかなりのストレスを抱え込んでいたんだろう。
今思えば…だけど。King Wolf狼王戦宝

ワンマンという言い方は古いけど、そんな感じでした。軍曹のような感じかしら

姉が反抗的な態度をとったときは上半身裸にしてベルトで背中を打つ。

骨の形成が遅く、虚弱体質だった私には直接の暴力ではなく、先に述べたような人格否定に値する暴言。
そして夕飯の餌を与えない。

子供に与えるご飯はエサという言い方をしてましたね。

何も感じなくなってましたけどね。

あの当時はよく耐えたなと思っています。

逃げ場がないと洗脳されていくんですね。紅蜘蛛

しかし、こんなことを書いていても心から父を憎いとは思ったことはありません。

私が成人になるまで生きていてくれたのでm(__)m

分からないけど仏になってしまうとどうでもよくなり憎しみも忘れてしまうのかも。

今の時代なら父は逮捕されてるでしょうね。

理想の家族として羨ましいがられていたけれど、我が家は理想の家族なんかじゃなかった。

実態はこんなもんですよ。

あの頃は家にいても心休まることはなかったな。

叔母にされた仕打ちもそう。

あのときは既に助けを求めるとか、考える気力がなかったのかもね。

しかし殺されず生かして貰えただけでもラッキーだったんだよね。

父のお陰で毎日餌を与えて貰ってたんだものね。

おしまい男根増長素
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