今日見つけた宝物

今日のお客さん、ジェニーさんという、36歳のインド系の女性の話。
左足が付け根から無く、松葉杖をついていたので、理由を聞くと「骨の癌で切断して以来、この状態の生活が長いのよ」とのこと。「義足は使ってないんですか?」
「普段は使うわよ。今日はしてこなかった」20年前の癌からの生存者だという。
三體牛鞭
今日の日記は障害を乗り越えて前向きに生きている彼女の話では無い。
障害、災難、病苦という状況でも前向きに生きている人には、私はもちろん尊敬の念を抱く。
私の周りにはそういう人が多くいる。マイミクさんにも何人かいる。
私も今のところは軽度の障害だが進行性の持病がある。将来への不安が無いといえばウソになる。でも、進行した場合は残る機能を使って生活して行くだけだといつも自分に言い聞かせている。
お手本となる、マイミクさんもいるし、ね?今日は別の話。

日本に居る古い友人が、今年、肺がんを発病した。その連絡を受けたあと、私は暫く落ち込んでいた。
彼の見舞いも今回の訪日の目的。2ヶ月の入院治療を終えた彼から電話が入ったのは先週のこと。
「退院したのね?」「いや、今回のは一時帰宅だ。癌がまだ消えてなくて、二日後又再入院だ。もうダメかも知れない」「そんなこと言わないでよ。治る見込みがあるから入院させられるんだから」「脳に転移もしているらしいんだ。希望はもちたいけど、無理だと思う」
五便宝
本来が慰め、励ましはもちろん、褒めることも苦手な私だから、こういうとき直ぐに彼を励ます言葉が出てこない。普段おしゃべりのくせに、誰かが苦しんでいる時は、手を握るか、抱きしめるか、泣くか、そういう態度でしか表現できない不器用な人間だ。
いつのもように冗談交じりに「死んだらダメよ。又一緒にお酒飲もうよ。いつか釣りも教えてくれるって言ったじゃない。もう直ぐ日本だから、会いに行くから、それまで治しててよ」と、軽口を叩くことしかできない。そして、電話を切った後、その重みに耐えられなくなる。
ジェニーさんにその話をした。「彼に会った時、何と言えばいいのでしょうね?」

15歳の時に足を切断し、その後肺への転移もあり、医者に「3ヶ月の命」と言われたが、その後の再発もなく、20年生きて来たジェニーさん。「生きているこの瞬間を喜ぶこと。明日死ぬことになろうが、何年先まで生きようが、今日が人生最後の日だと思って生きること」
子供病院で、社会福祉指導員として働いているというジェニーさんはこうも言った。
「その病院には多くの癌の子供達がいるのよ。
子供達はね、明日死んでいくかも知れないのに、毎日、遊んだり、勉強したり楽しんでいるのよ。皆が子供のように、明日の事を心配しなければ良いのに、と思うの。
親たちは明日はどうなるのかと、彼らが生きているときも悲しんでいる。悲しむのはその後でいいのよ。

私の母親は医者から3ヶ月の命といわれた後も態度を変えずに、そして私に普通に生活するように言ったわ。だから、私は学校にも行ったし、できるスポーツもした。そんな毎日の繰り返しで、今日まできたわ。
再発するんじゃないか、明日どうなるか、ということを考えないわけではないのよ。でも、生き方が、時には病気も克服するのよ。その人に言って。『生きている今の瞬間を喜んで生きて』って。」

彼女の言葉には体験者の重みがあった。ここでも、「サンキュー」しか言えない私は彼女にハグするだけ。「ありがとう。あなたが担当でよかったわ」と、出て行く彼女に、私のほうこそ今日の報酬以上の宝物をいただいた。