本当に幼い時から

いっぱい感動を私たちにくれたリオオリンピック、とうとう終わってしまいましたね。
7日の朝、目が覚めてそして・・・・ と、その時のことは「セブン」と言う記事の中で書きました。

女子重量挙げの三宅選手の銅に感動し、萩野選手と瀬戸選手の金と銅のメダルにもまたまた感動し、「水泳日本」と言う言葉が蘇ったような気がしました。
でもその時

「どうせ日本なんてさ、メダルを5,6個取ったら、『メダルラッシュ』とか言っちゃうんでしょ。」なんて暴言を夫殿相手にこっそり吐いていた事を、ここに告白し、謹んでお詫び申し上げます。

本当に本当に、メダルラッシュだった今回のオリンピックでしたね。メダルがすべてではないし。まずはそこに行ったんだと言うことが一番の誇りだと思って欲しいと思います。だけどやっぱり選手たちの涙と笑顔にはたくさんの感動を貰いました。

男子の400メートルリレーでは、スポーツに縁のない私でも、子供の時から「リレーはバトンの受け渡しが命」と学校の先生から聞かされ続けていたことが証明されましたね。そして陸上でメダルなんてかつての日本では奇跡に等しい事だったのに、それにメダルをもたらす今を作ってきた一人が、世界で8位の男・高野進さんだったと分かりまたまた感動をしました。

みんなに知られていた卓球少女の福原愛さん。その彼女に憧れて、また多くの卓球少女が生まれました。先頭で旗を振りみんなを引っ張ってきたようなものですよね。だから彼女の流した涙には、思わずつられて泣きました。

レスリングの吉田佐保里選手が銀になった時に「申し訳ない。」と涙したのは、キャップテンでみんなを引っ張らなくちゃいけない存在だったのに金じゃなくてすまなかったと言う涙だったと思うのですが、私はやはり「金」をお父さんの墓前に供えたかったのだなと思いました。でも涙する彼女のすぐそばに、彼女のお父さんは本当は立っていて、そっと彼女を抱きしめたと私の妄想は突っ走り、またも思わず泣きました。

その時の彼女のお母さんのエピソード !

「うちには、『銀メダル』がないから良かったね。」って言ったんでしょ。

なんて素敵なお母さんなんでしょうね。

ひとつひとつの競技の事を書けませんが、本当にたくさんの感動にありがとうと言いたいです。

今だとウィキペディアの文字を見ていても、いろいろ感動が蘇ってきます。

問題は含んでいることは

しかしそれらが作り出されたイメージに過ぎなくとも、男性で言えば高校球児は甲子園を死に物狂いで目指すし、サッカー青年は国立競技場でのゴールを、ラガーマンは花園でのトライを夢見る。女性であるならば恋愛を忘れ、本来の柔らかい肉体を改造し、陸上や格闘技など一部の激しい競技では月の生理を失うほどのある種代償を支払い、それでも華やかな舞台に上がることを切望するというのが現実だreenex 效果
 彼、彼女らはひょっとしたら幼い頃から――当時はどの程度意識的に取り組んでいたかは分からないが――、青年・成人期に至れば貴重な時間を注ぎ込む鍛錬を自ら求めるのだreenex 效果

 これがイメージ操作的なもので、特に男子の場合傾向が強いとはいえ、まずは性別問わず意図的に集団生活の中で個を消すことや倫理観を強制的に叩き込まれる、一種の軍隊式なスポーツ教育だという指摘も分からなくはない。本来個性を伸ばし、各自の持ち得る様々な特長を結集させる過程からよりよい成果を得ることを目的としている(個人競技でも仲間同士での切磋琢磨、競い合いが大切)はずのところ、未だに旧態然、硬直化した一方通行のシステムは厳に残っているreenex 價錢
 個人の罪を全体の懲罰であるとする考えも集団の中では良く見られ、社会でも延長線上の発想で人間を支配するやり方はそれなりに浸透(支持)している。が、ただし現代に至っては学校生活や、特に従前までは信頼し採用していた企業の人事管理・教育の側へ(からも)弊害が指摘されるケースも少なくない。
 最も批判の矛先を向けやすい部分として、これらが確かに色々と事実としてまず捉えなければならない時期にあるのかもしれない。ただ現在においてはスポーツに携わる人達、プレイヤーだけでなくコーチも含めた育成・能力開発や教育のあり方が見直されているといわれていようと、過渡的なシステムの一部として最善とはもちろん単純に首肯は出来なくとも、教育(連帯的責任の良好なあり方・仲間意識の確立・子供に対するしつけ・情操)という点からすると全てを否定しきるのはやはり早計と言えないだろうか。

 あれら週刊誌の記事自体を私がどう感じるかについては、はっきり低劣で俗悪なくだらない読み物であるとすぐさま断じることに、決して躊躇を覚えない。ただ、こういったブランド化された性商品とでも呼べるものが、現代の性産業の関心の核の一つである事実は否定出来ない。
 イメクラやお宝もその一つである。お宝とは対象のネームバリューやら認知度、社会的立場がかなり明確な価値の尺度である。例えばある人物(主にタレントや有名人)は非常に強い趣向が現れやすい対象であったとしても、特段に性的イメージで要求する者が少数であるならばお宝市場における価値とは必ずしも相容れないのだ。当然だが、制作費をそれなりにかけ(芸術的と呼ばれる作品なら制作費は低く抑えられていてもいい、と業界内だけでなく世間でも認知されている)有名監督に撮ってもらった映画等々、一般的に世間からも評価のあるメディア以外で脱ぐことに抵抗がないか、あるいはないかに見える場合は言うまでもなくお宝対象としての価値は低いだろう。

「競技Xの女王の裸体」は、コスチュームや特定の職業に対しての性的嗜好を捉えたイメクラ的なものとお宝の中間か、よりいくらかお宝に傾いているかもしれないがそれは被写体の知名度による。
 広告の時点では彼女はオリンピック候補の「有名」な選手だと言われていたが、抗議の内容によるとどうやら違うらしいとの線が濃厚だとか。仮に嘘であったとすると、「競技X」や「競技Xのコスチューム」への記号に対する欲情というレベルしか機能しなくなる。結局はそうなってしまったとしても、これは雑誌当初の話題づくりに成功し「競技X」好き、「競技Xのコスチューム」好きの耳目を集めることが出来たのだ。「お宝」好きにはあまり価値のないものになってしまい、それでも予想外に協会が騒いでくれたおかげで、世間一般の人々の注目を集めるまでにも期せずしてなったのは、ありがちな話だが皮肉な結果である。
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