社宅というのは死語になりつつあるのでしょうか?

先日、近所を散歩していた時に確かどこかの会社の社宅だったところが解体工事が入っていて、そういえば、先日もどこかの寮だったところがなくなっていたのを思い出しました。

かつて日本の企業の象徴として、企業の連帯感を支えてきた「社宅」や「寮」が、今や存在感さえもなくなろうとしています。

私も、かつては父の会社の社宅に住んでいて、先日の栃木の洪水で思い出しましたが、やはり近くの川が氾濫して1階は水浸しになり、ボートに乗って移動したことを思い出しました。

運良くわが家は2階だったため難を逃れましたが、1階の家は大変で向こう3軒両隣りと言われるように周り近所で協力して支え合った記憶を呼び覚ましました。

当時、社宅は社員どおしの家族的雰囲気を醸成し、連帯感を育み、まさに地域コミュニティを形成していました。

「カレーを作りすぎちゃったんで、どうですか?」「砂糖切らしちゃったんで、分けてもらえませんか?」など、日常的な交流がありました。

それが、今は社宅も無くなり、会社の家族運動会も無くなり、若い人が参加しないからと言って、職場の親睦旅行も無くなってきていますね。

欧米の個人主義が徹底してきたのでしょうか?個人主義・自由主義の台頭とともに何か貴重なものを失ってしまったような気がしてなりません。これも時代なのでしょうか。。
少し寂しい気がしますね。
五便宝
狼一号

この世の果て。

今…空を見上げています。
星は見えません。
仮に見えているとしても、それは、今の星の煌めきではない。
一瞬の光が届くまで、1000年以上。
もしかすると、もう消滅しているかも、しれない。
でも、それを確認できるのは、1000年以上先。

ニューホライズンズ計画。
時速に直すと56000キロのスピードで、9年掛けて、冥王星に。
宇宙はどれだけ広いんだろう…

真っ暗闇の野球場。
真ん中に立つ。
昔の豆電球式の懐中電灯で、辺りを照らす。
LED式の懐中電灯なら?
サーチライト式の懐中電灯なら?

徐々に明らかになってくる、宇宙の広さ。
人間の科学で、照らされる範囲が広がる。
さて、私が生きている間に、何処まで広がるのだろう。
新たな銀河系、発見できるかな?
生命が息吹く惑星が、見つかるかな?

昔、世界は、お盆のような形で、淵に行けば、終わりと考えられていた。
古代ギリシャのピタゴラスが、船のマストが沈んでいくように遠ざかることで、地球は丸いと気づき…
科学的に観測したのはアリストテレス。
今や当たり前の話も、誰かが覆し、既存の科学と戦う必要がある。

宇宙の淵。
何があるのか…
いきなり透明のガラスのような物体で囲まれていて
それはまるでスノードームのような…
そして、何か得体も知れない物体の手に握られていたら…
そう考えるロマンがあります。

宇宙の果てに、何を夢見よう。
それはエターナルか?
それとも、真実があるのか。
生命の神秘や、自然の摂理を司る真実が…

不確定要素の上に成り立つ事実の答えも、そこにあるのか?
生命とは何か。
生とは?死とは?
42の、本当の意味。

答えの出ない、答えがそこにあるのなら、覗いてみたい。

眠れぬ夜の、にっき。
巨人倍増
威哥王