月・こうこう、風・そうそう

幾本もの竹が天井まで聳える。半分ほどは宙に浮く。そんな竹藪に爺婆がやって来る。「今は昔、竹取の翁という者ありけり…」。韓国痩身1号,「竹取物語」のイメージそのもの。別役実らしからぬ正攻法な幕開けに驚いた。「かぐや姫伝説より」と副題が付いているものの、全く違う世界観を提示してくると読んでいた。だが、爺婆と姫が出会う次の瞬間、圧倒的な別役ワールドへと一気に誘われた。

昨年5月に都内各地で始まった「別役実フェスティバル」の最後を飾るのは、「月・こうこう、風・そうそう」。新国立劇場芸術監督で演出の宮田慶子から3年前に依頼を受け、病と向き合いながら書き上げた待望の新作だ。

「マッチ売りの少女」や「不思議の国のアリス」のように、童話を題材にした別役作品は少なくない。だが、意外にも日本のお伽噺は初めて。

街頭覇王睾丸素カプセル
原作の「竹取物語」には謎が多い。別役なりの視点で捉え直した世界は、極めて世俗的であり、ファンタジーの感触を抱かせない。

例えば、かぐや姫(和音美桜)の登場シーン。竹から産まれない。誰かに追われるようにして、どこからともなく現れる。心中しようとしていた爺婆(花王おさむ、松金よね子)の前に…。

自分はどこから来てどこに向かうのか。宛てどなくたゆたう姫の元には、意味深な言葉を呟く盲目の女(竹下景子)、母らしき女(増子倭文江)、兄(山崎一)らが代わる代わるやって来る。でも、姫の存在は謎に包まれたままだ。

5人の求婚者ならぬ、人さらいの風魔の三郎(橋本淳)が出現。彼の存在が、姫や爺婆の秘めた過去を浮き彫りにする。けっこうシュールな真実には、貧しい暮らしから脱け出そうという、爺婆の人間臭さが滲む。

割りとシリアスな展開ではあるが、姫と風魔の三郎が仲睦まじく食卓を囲んだり、爺婆が囲碁を指したりするシーンには、別役作品特有のユーモアが感じられる。

食べるという原始的な行為に対するこだわりは、これまでの作品でも観られた。横一列に並んだ家族が、ただただ食べる。何でもないシーンが、後々に強い印象を残す。共に食べる姿に親和性を感じ、作中では紹介されない日常にまで思いを巡らすヒントを与えてくれるからかもしれない。

囲碁のシーンに関しては、爺婆の会話のズレが面白い。若手作家にとっては、会話作りの手本となる格好の素材である。上手いなあとつくづく思う。
花痴

ある程度の安全対策は必要だが、

こういった統計を見たことがないのは、私の調査不足というわけではあるまい。King Wolf狼王戦宝


その統計というのは、視覚障害者の関係する鉄道などの事故の傾向値の統計。

と言うのは、以前にも書いたことだが、私の住む街には、今は筑波に移転した視覚障害者の訓練施設があった。
鉄道駅(当時の国鉄や営団地下鉄、あるいは都電)までは、点字ブロックもなく、バリアフリーでもなく、音声による誘導もなかった。
だが、皆様、白杖でコツコツ路面を叩きながら、私(当時幼児)などよりも足早にスタスタと移動されていた。
だから、子供ながらに本当は見えているのではないかと思ったこともままあった。

この当時、今よりも交通ラッシュはすごかったことを考えれば、遥かに多くの視覚障害者が転落するなどで死傷していても不思議はない。

だが、そんな話、親世代に聴いても知らないという。

媚薬 激安

さて、一方でこんな話がある。
所謂高所平気症の話。
高さの間隔がなく、高層階から地上階へと落ちてしまう、特に乳幼児諸君がいるということ。
だが、一時期暮らした8階建て賃貸マンションでは、歩き始めた子供がしたいといえば、嫌な顔ひとつせずに階段で1階から5階や6階まで階段で行き来する親子がいた。
当然、始めのうちは階段からしょっちゅう落ちてはべそをかいている。
だが、さほど時間を経ずして、ゆっくりだが自力で昇降する。
目的階まであと少しの踊り場まで来て満足してしまい、出発階まで戻ってエレベーターに乗りたがるというおまけ付きで。
こんな子供たち、階段落ちを繰り返すことで高さの感覚を身に着けて、高所平気症になどはならなかったようだ。

これ、視覚障害者にとっても同じだろう。
あまりに安全対策を整備し過ぎると、”危険不感症”になり、逆に危険になるのではないだろうか。

無論、全盲の音楽家宮城音也氏が、トイレと間違って手動のドアを開けて出来に出てしまい、トイレに入るつもりで虚空の線路脇に踏み込んで演奏旅行中に没した事を再現させないため鉄道車両のドアが自動化されたことをけしからんと言うつもりはないし、当然の流れだろうとは思う。
だがホームドアなどは別だろう。

嘗て、視覚障害者諸氏は、白杖のコツコツという音と感触とで、ホームの端、階段の端、などを見極めておられた。
無論、血の滲むような試行錯誤と努力の賜物の成果だろう。

それを軽減するための安全策は必要だ。
だが、一切必要としないような対策は、逆に危険を惹起することになりかねまい。

必要性は十分認めるが、どこまで必要かについては十分に精査が必要だろう。
花痴

Calendar
«  September 2016  »
S
M
T
W
T
F
S

 
 
 
 
1
2
3
4
5
6
7
8
10
11
12
13
14
15
16
17
18
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
 

search this blog.
category
archives
links
others