掃いて捨てるほど忘れられて

全くよくわかりませんが、とにかく整形して、石の上にも三年という言葉を過敏に否定して、今の一瞬の輝きを前面に押し出す。本当に悲しいのは、今までにどれほどの人々がこの人と同じように、一瞬輝いて、あとで後ろ指さされて過去の成功にしがみつき粗末な生活を送ってきているか…彼女は知らないし、知っても目を背けるだろう。

石の上にも3年の意味は、花開くまでに花開いた人の動き、その後、生き方なども総合的に触れて考える時間であると思います。一瞬で輝いた人は一瞬で終わるということ、10年後くらいにこのミクシイ上の記事を振り返って語ってほしい。まあ、事務所を離れて個人でやっているといっても、周りには大人たちがいるだろうから、その大人たちにやらされているとも十分考えられるが。

あと「退路を断って」と表現しているが、「私なりに」と付け加えてほしい。本当に退路をたったらニートなどできないし、芸能界で成功などをつかむことはできない。あと第二のマツコと称されるなら、あと少なくとも50キロは増量してほしい。引退した紳介がマツコを怖いものなしのたとえとして、「だってもうその体型、一回自殺しているようなもんやん」と表現していたのを思い出す。巨体は動くことが苦しい、見た目にもコンプレックスはこの社会では延々につきまとう。あふれるエネルギーと感情の炸裂を受け止めてくれる世界は少ない。マツコだからこその悲しみと激しさが、あの巨体から放たれ許される。
可愛く、いろいろな方面で売れる準備を整えているような人間が、マツコにたとえられ、退路を断った、などというごとに、ますます掃いて捨てるほどのそのあたりのガキに思える。そのあたりのガキに思われることが戦略としたら、そんなのは芸能界にまた掃いて捨てるほどいるだろう。

どのみち、いてもいなくても、人は人を忘れる。見てほしいと願うビジネスなどますます忘れられるために生きるようなものだ。悲しすぎる。
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