政教分離の嘘八百

流石に控えめな表現になっては居るが、相も変わらず殊更に書き立てることで”宗主国様“に御注進に及び、忠誠ぶりを示したいと見える。

さて、非難する諸君が、よく持ち出すのは、
1、戦犯問題。
2、政教分離問題。

何れも、大切な問題であるが、非難する諸君も、擁護する諸君も、共通して無視している事共を何とかしない限り、何時になろうとも、同じことの繰返しだ。
大印象
まず1つ目。
戦犯問題は、法的手続きの齟齬が原因だ。
つまり、この齟齬を解消しない限りは、解消しまい。
それは、近代法で禁ずる事後法禁止の問題。
戦犯の罪状が、事後法に由来することが、賛否両論を産む。
よく引き合いに出されるドイツの場合はどうか?
こちらは東西ドイツ成立以来、当時の国内法や軍法に基づき裁判をやり直し、事後法問題を解消し、現在に至るまで戦犯を追い続けている。
この国でも、昭和30年代にでも決着しておくべきだったろう。

二つ目は、些か厄介だ。
程度問題だからだ。
常識的な範疇として、ある宗教行事に参加する場合、その宗教、宗派の作法を守ることは、この原則には触れず、守らないことこそが、触れるからだ。
政教分離原則は、元々キリスト教と言う共通の土台の上にあるカソリック、プロテスタント、その他の宗派を、分け隔てなく扱うものだ。
だから、英国国歌は「神よ!女王を護りたまえ!」と歌うし、アメリカ大統領は、就任宣誓に聖書を使うと定められている。
後者について、ムスリムからの抗議があると言う話を聴いたことがない。
消渇丸
つまり、キリスト教会や施設では、讃美歌や礼拝の方式について、キリスト教の作法に従うことは、この原則には抵触せず、逆に違う方式を意図的に行えば、抵触することになろう。

これは、仏教や神道についても同様だ。

つまり、多くの神社に共通する参詣方式たる「二礼二拍手一礼」を採用する靖国神社に於いて、これ以外の方法での参拝は、厳密に言えば問題ありだ。

もっとも、神道は寛容だ。

一度ならずやソフトクリーム、菊花、桜花等に吊られて行ったことがあるが、数珠を持ちモゴモゴやるもの、十字を切るものを一度ならず眼にした。

さて、もっとも厳格に政教分離原則を適用したら、どうなるだろう。

スコシ検討してみよう。
先ずはカレンダー。今使われているのは、修正グレゴリオ暦。つまり、キリスト教、しかもローマンカソリックを贔屓にすることになる。次いで休日。週休二日制で休みとするのは、土曜日と日曜日。言うまでもなく、ユダヤきょうとキリスト教の安息日。つまり、この二つの宗教を贔屓にしていることになる。クリスマスもそうだ。

つまり、どこかで折り合いをつけなければならない。参拝を問題視するならば、このような点について、きちんと見解を示す必要があろう。因みに私自身は、自らの宗教感とは別に、その宗教の遣り方を基本的に尊重している。だから、教会式の結婚式では讃美歌を唄うし、仏教式の法要なら念仏や題目を唱えることに躊躇いはない。
  • 日記 |
  • 2016-05-04 14:50:26