皇室典範の放置は天皇制を滅ぼす

皇位継承と男女差別はなじまない話です。

 しかし、現在の皇室典範は、早く改正しなければいけません。
 放置しておくと、天皇家はなくなるでしょう。
 なにしろ女性皇族ばっかりなので、ほぼ唯一の若い男性皇族は、秋篠宮悠仁親王殿下しかいません。
三便宝
 内親王も女王も、結婚したら皇籍を離れ、一般人になります。
 つまり、あと10年もすれば、「宮家」なんて秋篠宮だけになるでしょう。
 今あるの宮家とその男性の年齢は、「秋篠宮(50歳と9歳)」「常陸宮(80歳)」「三笠宮(百歳)」「高円宮(いないので女王)」ですからもう、秋篠宮家しか存在しないも同然です。

 これだと公務にも支障がでます。秋篠宮家だけで様々な公職やお勤めを回せるわけがない。

 だからせめて、きちんと「女性皇族での宮家」を作れるようにするべきです。
 現在の高円宮家」は、男性がいないのだけど、仕方がないのでとりあえず女王をすえています。
 でもこれも、ほっとけばなくなるだけです。
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 そう遠くない将来、東宮が天皇陛下に即位されれば、皇位継承権第一位は、秋篠宮文仁親王となります。
 しかし、皇太子ではありません。
 文仁親王が即位されれば、悠仁親王が皇太子になるでしょうけど、それまではどうするのでしょうか?
 皇太子家への皇室予算と宮家への皇室予算は違います。
 秋篠宮家は東宮家よりも少ないわけです。
 そのままでいいのか?

 安倍内閣さんは、いたずらに怒るだけでなく、天皇家をきちんと維持できるよう、皇室典範を改正するべきです。それは憲法を改正するよりも急がなければなりません。

 もしも、悠仁親王にもしものことがあれば、皇位継承で内乱になってもおかしくない事態になるでしょう。
 そうなる前に、女性宮家と女性天皇の道筋を作るのが、本当の保守の仕事です。

 20年後に悠仁親王が結婚されて、子供が生まれたとしても、それが男子とは限らないのです。

 明治天皇までの皇室は、側室制度がありました。
 昭和からは側室をなくしましたけど、いまさら復活させるような時代ではないでしょう。
 文明国である日本の王家が、側室に子供を産ませるようでは、世界から失笑されます。

 もはや、女性天皇を容認するしかないのです。

 そもそも、女性天皇を否定するということは、持統天皇をも否定します。
 皇統を否定してまで、いったい何にこだわるのでしょうかね、男性絶対主義者の方々は・・・

元禄港歌

歌舞伎、新派、現代劇、音楽劇…。様々な要素を内包しながら、どれも「元禄港歌」の本質を言い得ていない。 そもそもジャンル分け自体がナンセンスに思えてくる。良い物は良い。それだけで十分だ。

諸国を遍歴した女芸人、瞽女(ごぜ)の恋路を描いた「元禄港歌」は、女流作家・秋元松代、演出家・蜷川幸雄、歌手・美空ひばりによって生を受けた。
淫インモラル
男女や親子関係の機微を捉えた秋元の戯曲は、ため息が出るほどの繊細さを持つ。美空の歌声は、まさに日本の心そのもの。打ちのめされた人々の思いを代弁し、観る者の心に強く迫る表現力が二人にはある。

演出の蜷川は、華美なビジュアルで印象付ける手法を得意とする。本作では、簡素さの中に浮かび上がる「美」を表現した。絶え間なく降り注ぐ椿の美しさは、劇中の愛憎模様と呼応して、不気味な輝きを放つ。

蜷川と音楽。正直、音楽の生かし方はさほど上手くない。「アメイジンググレイス」など容易に感動をもたらすクラシックを使いがちだ。一方で、美空の歌声は強く深い。じわじわと心に染み入る。日本人の情感を表現するには、演歌は普遍的な力を持つと思う。
勃動力三體牛鞭
今なお意欲的に創作を続ける蜷川にとって、秋元松代は、唐十郎や清水邦夫とともに切っても切り離せない存在だ。若き作家とのコラボなど幅広く演出を手掛ける名伯楽は、やはり盟友たちの作品でこそ力を発揮する。

そして、そんな作品に関わりたいと思う役者が多いのも確かだろう。市川猿之助、宮沢りえ、段田安則、鈴木杏、市川猿弥、高橋一生、新橋耐子…。いずれ劣らぬ芸達者が揃った。

中でも、年増の瞽女を演じた猿之助は、美しい所作と憂いを秘めた表情で、別格の存在感を見せた。何も語らずとも、そこにいるだけで絵になる。歌舞伎役者という自分の役割を理解し、「本当の女」である女優陣と演技でぶつかり合わない。上手く共存する。

よく見れば、ご都合主義

私など、野球に興味がない、否、テレビやラジオの中継などで、いつもの放送パターンが壊滅的になる事を苦々しく思ってきたのだが、それはさておき。政治の世界、或いは基地問題などで、一票の格差、或いは偏在を問題視し、訴訟沙汰にしたがる諸君がいる。
壮天根
だが、この高校野球における一校の格差をスルーするのは、聊か均衡を欠いているような気がする。

私の上司に東北地方某県出身者がいる。この県では、県代表になるまで4回勝てばいいと言う。無論シード校ではない。

翻って、東京などを見ると、試合の予定表が実に細かい。7~8回は勝たなければ、代表にはなれないだろう。

つまり、地区代表になる為の格差たるや、10倍近い事になる。

格差を糾弾する諸君は、何故にこの格差を黙認しているのだろうか。

所詮は行動原理は経済的、或いは権力的利益にのみ左右されているのだろうか。
紅蜘蛛専門店
ま、私などにとっては、聊か好都合、ではあるが。教育実習で母校に戻った年の野球部は強かった。例年一回戦敗退を常としていたのに、この年は、何故か、四回戦に勝ち上がり、あと2回勝てば準々決勝。実習生の控室で、話題になった。勝ち進むことが、ではない。金と時間がないことについて。都立高なので、地区大会決勝から先は資金不足、人不足。卒業生に資金援助の奉加帳が廻ること、応援の依頼が出ることの方が関心事だった。

ま、ベスト32で終わり、安堵したのだが。もっとも、弱かったのには訳がある。

当時の地区大会の会場は、八王子市民球場。つまり、遠い方の球場の上、何故か、第一試合。つまり、朝の6時過ぎには球場入り。学校からバスで行くから、渋滞を考えて未明の4時には出発。集合時間は3時台。
学校までは、公共交通機関、自転車、徒歩しか認められなかったし、校内の宿泊設備はない。通学時間は、最大1時間、15㎞だから、一番遠い選手は、ほぼ徹夜になる。対戦校は地元校が多かったから、いつもの朝練時間で余裕で間に合う。はなから勝ち目はない。この年は、偶然第二試合以降が続いただけだったわけ。さて、政治と野球に関心のある諸君、一方ばかりにではなく、両方の格差に等しく行動すべきではなかろうか。