「わかってほしい」と「知ってほしい」

他者に対して自分を“わかってほしい”時

そこにはその相手に対する“甘え”みたいなものが

存在するような気がする。

理解されたい、共感してもらいたい。

そういう気持ちだ。

行き過ぎると共感を得られないどころか

煙たがられたり避けられたりする。

それとは違うのが“知ってほしい”ということ。

理解や共感、同情ではなく

自分はこうなのだと“知っておいてほしい”

そこには、相手への思想の強要や共感の押し付けはない。

相手へのイントロデュースつまり自己紹介のようなものだ。

サドゥンリーつまり突然に

ルー大柴が降りてきたけど気にしない。

自分と付き合っていくなら

この事は知っておいてもらいたい。

これは、甘えとは少し違う気がする。

相手との末永い友好関係のために必要な情報のひとつとして

今後の関係の参考にしてもらいたい、ということだ。

あなたと良好な友好関係を築いていきたいですよ

というメッセージでもある。

そして、この情報を考慮するかしないか

あるいは、考慮した上でどう活用するのか

これは、コミュニケーションの相手に委ねられている。

知っておいてもらいたい、というのは知ってるのだから、このようにしてほしいとなってはいけない。

これは相手への要求であり

紹介の領分を越える。

例えば僕は犬が嫌いなので

僕の前では犬の話をしないでくれ。

↑こんなやつとは誰も友達になろうとはしないだろう。

ただ、このことを知っている友人が

もしその情報を、互いの友好関係のために活用しようとするなら

犬のことに対する共感を犬嫌いの友人に得ようとすることはなくなるだろう。

それは、距離をとっているとか

気を遣っていると見られることもあるかもしれないが

思いやりの一つでもあると

僕は思っている。

要求せずとも理解され

言葉にせずとも思いやる。

そんな関係がある意味理想とされるのはこういう意味合いも少し

含まれてるんじゃなかろうかと

ふと思ったのでした。

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