戦時下の実態を赤裸々に 同盟通信記者の遺稿出版へ

日中戦争の勃発から第二次大戦初期にかけて同盟通信(共同通信、時事通信の前身)の北京支局員、ハノイ支局長、欧州移動特派員などを務めた大屋久寿雄(おおやくすお)(一九〇九~五一年)の「戦争巡歴」と題した未発表の遺稿が見つかり、執筆から約六十五年を経て月内に出版されることになった。
狼一号
 事実上のノンフィクション作品で、四百字詰め原稿用紙約二千枚の大作。自身を含む戦時下の日本人記者の実態を赤裸々につづっているほか、中国に親日の汪兆銘政権を築いた工作の詳細も書かれている。出版社は柘植書房新社。

 原稿は四六年から大屋が病死する五一年までの間に書かれた。東京都武蔵野市の長男剛人(ごうじん)氏(故人)宅に長年置かれていたが、数年前からは、大屋について調べていた高橋治男・中央大名誉教授(フランス文学)とジャーナリストの鳥居英晴氏が引き取り、内容の精査を続けてきた。

 「支那事変」「和平工作」「欧州戦争」「太平洋戦争」の四部構成で、大屋がスクープした三八年の汪兆銘ハノイ潜入の取材顛末(てんまつ)、第二次大戦初期のドイツの様子などが風景や人物描写、さらには自身の女性遍歴を交えて子細に描かれている。
威哥王
 同盟通信編集局次長だった岡村二一(にいち)(戦後に東京タイムズ社長)が、松岡洋右外相に同行してソ連、欧州を回って帰国後「ヒトラーの手のひらは実に柔らかい」と得意げに話していたなど、戦時下のメディア内部の逸話も多い。大屋は自身の名だけを「太田三吉」と変え「小説の形を借り」て執筆したとしているが、実名で登場する報道、外交、軍関係者は数百人に上る。

 <大屋久寿雄(おおや・くすお)> 1909年に福岡県千手村(現嘉麻市)で生まれる。東京の成城高校卒業後にフランスに渡り、リヨン大文学部で学ぶ。パリでは渡航中の作家林芙美子、プロレタリア作家アンリ・プーライユと親交を結んだ。33年に同盟通信の前身の新聞聯合社に入社。37~39年に同盟通信特派員として中国北部、ハノイ、欧州に駐在。この間、汪兆銘のハノイ潜入をスクープした。韓国痩身一号太平洋戦争中に日本放送協会に出向。45年8月10日には日本のポツダム宣言受諾方針を軍や情報局の許可を得ずにいち早く伝えた対外放送に関わる。戦後は時事通信で事業局長となるが、51年に病死。
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