やけくそ親父

やけくそ親父

あの戦が終わった時、親父はやけくそで遊び呆けていた。

やけくそだったのは終わった時に始まったことではない、
おやじが溶鉱炉の煤塵に塗れて造った戦艦の鋼板が、
いとも簡単に爆雷で突き破られて海の藻屑となって沈んだ時も、
蒼蝿水
そのあとに海域防衛線が打ち破られて、
米軍の軍艦による艦砲射撃で鉄工所を爆撃されて死に損なった時も、

いや、その前に、
中学にも行かせてもらえずに富士鉄室蘭の溶鉱炉職員になったときだって、
おやじはやけくそだった。
大印象
今度は本土決戦だ
鬼畜アメリカ・ロスケが上陸して来たら
三八銃なくたって、竹槍で突っ込んで玉砕してやる!

そう思いながら
酒に煙草に女に麻雀、将棋に玉突き
遊び呆けていた。

戦に敗れた冬、
一家が流行性発疹チフス隔離され、
これまた死に損ねて生き延びたら
両親死んで残された幼い弟妹
こいつらもやけくそで育てて高校、大学まで出して、

おふくろを嫁に入れて俺が生まれ育ったころには、
やけくそな顔の写真は一枚もないが
笑顔にやけくそ隠して、
生きていたに違いない。

親父が死んだ年に俺も近づいて、
ふと俺はそう思う。

たとえば野に咲く花のように

鄭義信(チョン・ウィシン)の手に掛かれば、名もなき人々の生き様は舞台上で鮮やかに彩られる。歴史の記録には残らなくとも、一人一人の人生を切り取れば、どこかしらに輝ける「瞬間」が必ずある。特定の場所で運命的に集う人たちの関わり合いを通じて、その瞬間を強く印象づける。

鄭の作風は、井上ひさしに近い。登場人物一人一人に向けた温かい眼差しや、ユーモアの感覚には相通じるものがある。言葉遊びの要素は薄いが…。

一方、静かに紡がれる会話の中で、ときに放たれる熱量あるセリフは強烈。導火線は恋心や義理人情だ。岩松了の作風とも重なる。

「たとえば野に咲く花のように」は、9年前に新国立劇場で初演した。劇場から新作の演出を任された鈴木裕美は、作者選びの相談も受けて、鄭を勧めた。

当時は、他作家とのギリシャ悲劇シリーズの一つだったが、今回は鄭作品3部作として「焼き肉ドラゴン」「パーマ屋スミレ」と共に上演。鈴木は今回も本作の演出を務める。

鄭の戯曲を読むと、ト書きが事細かく書かれている。井上との共通項でもある。必ずしもト書き通りに演出する必要はないが、鈴木は忠実に従った。

蜷川幸雄も同じスタイル。ト書きを守る。でも、ト書きに書いていないことは何でもやる。だから、蜷川独自の世界が生まれる。

鈴木の場合、演出法は極めてスタンダード。突拍子もないことはしない。役者に寄り添い、ある時代に生きた人たちの空気を共に作り上げる。「その演技じゃ、先人に失礼よ」。厳しい言葉も飛び交うようだ。

物語の舞台は、戦後6年目の福岡・博多。飲食、ダンス、売春宿など様々な顔を持つ寂れたダンスホールで、在日の女3人(ともさかりえ、小飯塚貴世江、池谷のぶえ)が日夜働く。変わらない日常に対して、どこか諦めの境地が感じられる。

そこへ商売敵のダンスホールのオーナー安部(山口馬木也)が現れ、ともさか演じる満喜に一目惚れ。戦争で恋人を失った満喜は頑なに拒むが、自分勝手なようで男気溢れる安部に惹かれていく。

3人の女それぞれに恋路があり、戦争が色濃く影を落とす。彼女らの恋人は、追われる身や、朝鮮へ派遣される海自隊員である。安部も先の大戦で負傷し、顔と心にキズを残す。

それぞれの境遇を背景にした心の揺れ動きが目まぐるしく、物語の原動力となっている。1幕ものではあるが、各場の合間に数週間経過する設定になっているため、その間の人間関係の発展など繊細に演じなければいけない。

役者にとってハードルが高い反面、やりがいがあり、成長につながる作品だと思われる。実際、個々の俳優の演技からは、時代特有の空気や悲喜こもごもな人間模様が感じられた。

とりわけ、山口馬木也や池谷のぶえが光った。今で言うお姉系マスターを演じた大石継太は、普段と違う役どころで、ダンスも軽妙にこなし新境地を見せた。

主演のともさかは、悪くはないけど特段良くもなし。さほど印象に残らなかった。同世代には力のある女優がおり、舞台役者として生き残るためには鍛練が必要だ。
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