40年以上も生きて来た中で

自分の人生について真剣韓國 午餐肉に考えたのは恥ずかしながらおそらく2度しかない。節目と言える大学受験も就職活動も、「自分」を考え、自分が何をしたいのかを考えたものの、悩みに悩んだとは思えない。結婚ももちろん大事な人生の節目だが、7年近く付き合っていた哲との結婚は「考える」というよりも「気持ち」と「流れ」に乗って選んだ道だった。今まで真剣に「人生」と「生きていくこと」を考えたのは、一度目はチリ、そして二度目はテキサスにいた時だった。そして、三度目が訪れた。

「平凡」な人生なんてこの世に韓國 午餐肉存在せず、当人は気付かずとも誰の人生もいろいろあるものなのだ。結婚してから歩んで来た道を振り返ると、私もいろいろあったと思う。そんな「私(達)の人生」は人には「刺激的な人生だね」と言われることが多い。人と「人生」を比較するなんてはなはだ馬鹿げていることだが、もし馬鹿を承知で比較したとしても、他の人と「異なって」いても何か特別なことをしているとはやっぱり思わない。日本人なのにアメリカに住んでいるというのが特別なことならば、特別なのかもしれないが。


「特別」では無いが変化に富んだな生活を送って来たのは、でも確かだ。結婚し、渡米し、チリへ行き、哲は仕事韓國 午餐肉をやめて学生になり、私も学生となって二人で節約生活に乗りだし、仕事も無いのにワシントンDCへやって来て、哲は仕事を見つけ、そして今になった。仕事が落ち着くまでに数年かかり、順調と思っていた時に哲が倒れ、そして一年。やっと落ち着いたと思った頃にクルミを迎え、今度はクルミが生死をさまよいまた一年。そして今度こそやっと落ち着いたと思った時に、私は「自分」の生き方を考えるようになった。それは「変化」を必要としていたからなのだろう。

振り返ると、今までは何かに必死だったり、誰かを支えてあげたいと、真剣に「自分」を考えていなかったような気がする。

このままで良いのだろうか。この先、何を目指dermesせば良いのだろうか。私は何がしたいのか。どうやって生きたいのか。どうしたら社会と関わって行けるのか。