感動を覚えて

信一は、それまで、こういう集まりを、同病相哀れむようなものとして馬鹿にしていた。だが、一人のために、大勢の人間がDR Max 教材一生懸命に知恵を絞り、激論しているのを見るうちに、いつしかいた。そもそも、こういうぺージに興味を持つということは、参加者のほとんどが、対人関係に何らかの悩みを抱えているからだろう。にもかかわらず、多くの人間が、(おそらく日頃とは別人のように)積極的に発言し、打てば響くようにテンポよく議論が進む。これは、一つには、仲間の救済というはっきりとした目的があるためかもしれない。
 また、議論が変に煮詰まってきたり、雰囲気が緊迫しすぎたりしたときには、必ず誰かがジョークを差し挟んだりして、巧みに場の緊張をほぐすのだった。特に、半ば司会役のようになっDR Max 教材ている『めめんと』という人物が発言するタイミングの絶妙さには、信一は感心しきりだった。
 参加者たちも、みな、表面では堂々と意見を述べながらも、実は、そうした小さな齟齬《そご》が諍《いさか》いにまで発展するのを、心の底では恐れていたのかもしれない。逆に言えば、そういう人間ばかりが集まっているからこそ、決定的な対立が回避され、討論が長続きしているのかもしれなかった。
 長く議論をしているうちに、参加者の間には、ある種の一体感が醸成されてきた。信一は、ますますこの場を立ち去りがたく感じるようになり、思い切って、自分でも書き込みをしてみた。どうせ自分の意見など、無視されるか、冷たく一蹴《いつしゆう》されるかとDR Max 教材思っていたのだが、予期に反して、返ってきたのは真面目《まじめ》で好意的な反応ばかりだった。信一は、他人から是認してもらうというのは、これほど心地よいものなのかと驚いた。それは、ほとんど忘れかけていた感覚だった。彼は味を占めて、何度も書き込みを行い、ますますチャットにのめり込んでいった。
 一見素朴で融通の利かない真面目さは、しばしば誠実さと誤認される。また、控えめなユーモアは、その場の緊張を和らげるだけでなく、自分たちが客観性を失っていないかのような幻想を共有させて、連帯感をいや増す効用がある。この二つの組み合わせが、最も効果的に人間の警戒心を解除することは、いくつかのカルト宗教などがすでに実証済みである。
 信一は、ほんの一瞬だけ、自分たちが釣り針に掛かった魚であるような気がしたが、そう考えることは不愉快だったので、すぐに忘れてしまった。
 そして、議論が出尽くしたときに現れたのが、『庭永先生』なる人物だった。(ハンドル?ネームは単に『庭永』となっていたが、古参らしき会員たちが、『先生』をつけて呼んでいたので、他の会員も自然にそれに倣《なら》うことになった)
『庭永先生』のアドバイスでは、いかなる悩みもほとんど一刀両断という感じだった。堂々巡りの議論に疲れた参加者たちにとって、それは神託にも等しいように感じられた。誰もが彼の言葉の明快さに感激し、自分の悩みにも解決策を与えてくれるのではないかと期待しているのがわかる。
 信一も、その例に漏れなかった。彼はいつしか、チャットのある日を心待ちにするようになり、つい先日、初めての『オフ会』に参加したのだった。
『庭永先生』は、思った通りのすばらしい人物だった。先生の語る言葉自体に、それほど新味があるわけではなかったが、その声音には、本物の喜びと確信がこもっていた。『庭永先生』の謦咳《けいがい》に接することのできた参加者は、たちまち、彼のカリスマ性の虜《とりこ》となってしまうのだった。
 今見回してみても、そのときの『オフ会』に出席した参加者のほとんどが、一週間のセミナー合宿に参加するために、バスの中に揃《そろ》っているようだった。

 東京から一時間四十分ほどバスに揺られて、ようやく目的地に到着した。セミナーハウスは思ったより大きく、大勢が長期間泊まり込みで生活できるような造りになっている。一階には、食堂と厨房《ちゆうぼう》、テレビとソファのある休憩室のほか、ちょっとした銭湯くらいのサイズの大浴場があった。二階はすべて畳敷きの和室になっている。こちらは、研修と寝泊まりに使うのだろう。間仕切りの襖《ふすま》をすべて取り払うと、五十畳くらいはありそうだ。
 一応、男女に分かれて荷物を置く場所を決める。修学旅行(信一には一度も経験がなかったが)のようにわくわくしていた。信一は、『ファントム』君の隣に荷物を置く。
「『サオリスト』さん。よろしくお願いします」