長きに渡る過当競争の産物

この国には、世界に誇るものが幾つもある。

その一つは史上最古の先物市場であり、
一つは為替手形制度だ。

先物市場は、江戸時代に米の流通の中心地であった大阪堂島の米市場が、来年の米の相場などを商ったことに発する。
だから、藩によっては、その相場を見据えて増産し、或いは作付を制限したこともあったし、大阪回航の足を早めたり遅めたりした。
日本海側を航行する航路では、必ず舞鶴に立ち寄った。
ここには大阪からの情報が集積され、相場が高騰しているとなれば、舞鶴から陸揚げし、琵琶湖経由で急送して高く売却したし、
相場が低迷となれば、のんびりと瀬戸内海を航行して市況の回復を待った。

為替手形制度も同じようなもの。
大店は、本店発行の手形を発行、支店で換金させた。
現物を動かさないことで、危険を回避している。

さて、その一方で、各生産地では、収量の多い、高く取引される米の精算に血道を上げてきた。

今と違い、のんびりとした時代。
課税標準は、太閤検地の時の収穫量が基本。
つまり、生産者が増産に取り組み、数倍の収量を挙げても、年貢米は変わらない。
仮に300年で100倍に増えたとしたら、税率が上がったところで大したことはない。
何しろ、課税標準は100分の1になっている。
税率が40%から80%に上がろうとも、課税標準が変わらないから、実効税率は0.8%
だから、地租改正により税率が20%に下がっても大騒ぎになった。
実効税率が0.8%から20%になったのだから当然だろう。

課税対象外の米を高く売るためにはどうするか。

当然、より旨い米を安定的に、大量に作る必要がある。

この動きは、戦後の減反政策が始まるまで、300年を超える期間、営々と行われてきた。

その後は、減反政策にもかかわらず、消費拡大目的として、旨い米の研究が続けられてきたといえるだろう。

何の事はない。
旨い米を作るために、数百年間積み重ねられてきた歴代生産者の不断の努力の成果だ。

これは、進歩主義者の歴史とは異なり、古くからの市場経済の成果でもあるだろう。
楽市楽座などの時代から数えれば、1000年近い歴史を持つ市場経済の勝利だ。

無論、安定した輸送路の確保なども不可欠だが。

果たして、今の中国にそれだけの蓄積が残されているだろうか。
威哥王
三便宝