時が解決してくれることを待っている人へ

自分から去っていった人が戻ってくるのを待つのはつらいものだ。
棄てられたのだから。
それに待っているという素振り見せつつ必死で待っていたら、相手は余計に鬱陶しがり、精力剤販売店負担に感じて、ますます遠ざかっていくことになる。
それで待つという顔をおくびにも出さず、それでも心の中では祈るような気持ちで待つことになる。

しかし、これほどつらいことはない。
だから、身を持たせるためには待っていることそれ自体を忘れるよりほかなくなる。
そこで例えば相手とのこれまでの関係を思い起こさせるものを自分の身の回りから遠ざけるようにする。
思い出の音楽、絵画、椅子、食器、それらの品を全部片付けてしまう。
特に音楽やドラマはだめ。すぐに自分の今の境遇に二重写しにしたりするし、そもそも音楽やドラマは人の心を揺さぶるものだからだ。

こうしてただただ時間がたつのをじっと息を殺して待って、自分の心を空っぽにしてひたすら待って、時が解決してくれるのを待つ。
そしてそのうち、ようやっと自分が待っていることもときには忘れることもできるようになる。レディーチャイナ

けれどもそれでも待っている人は帰ってこない。
そのうち今度はこんなに苦しい思いをして待っている自分が次第に哀れに思えてきて、神か何か自分を超えたものにすがりつきたくなる。

「きっと神様は見ていてくださる」、と。
けれどもこれも「期待して待つ」ことにほかならないわけで、だから祈りながらも、期待してはいけないと自分に言い聞かす。
そしてそんな自分がまずます哀れになる。

そして、やがて、自分がここにいるということ自体が苦痛になり、自分が潰れそうになるのだが、それでも自分の存在を消すことができず、苦しい思いをただただ澱のようにため込むばかりの時間が延々と続く。

待つとはこのように苦しいものだ。レビトラ: http://www.levitramall.com
なかなか報われないもの、甲斐のないものだ。
期待することを断念し、祈るようにして待っていたことがらも諦めるなかではじめて、ほんとうの「待つ」が始まるのかもしれない。
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