客車が暴走、その時

ちょっとしたイイ話
明治42年2月28日夜

塩狩峠に於て、最後尾の客車、突如連結が分離、逆降暴走す。

乗客全員、転覆と恐れ色を失い騒然となる。

時に乗客の1人、鉄道旭川運輸事務所庶務主任、長野政雄氏、乗客を救わんとして、車軸の下に犠牲に死を遂け、全員の命を救う。

その懐中より、クリスチャンたる氏の常持せし遺書発見せらる。

「苦楽生死均しく感謝。

余は感謝して全てを神に捧ぐ」

上はその一節なり
三十才なりき

これは、北海道の塩狩峠にある碑に刻まれた言葉です。
旧国鉄の職員であった長野政雄という人物は、敬虔なクリスチャンでした。

給料の大半を教会の子どもたちのために寄付し、自分は慎ましやかに生活していたと言います。

また、神の愛を実現し、世に伝わるためならば、いつ死んでも構わないと考えていたそうです。

1909年2月28日
彼は現在の宗谷本線に、乗客として乗っていました。

その列車が塩狩峠の区画を走っていた時、信じられない出来事が起こります。

旅客車両の最後尾の連結器が外れてコントロールを失い、急勾配を逆走しはじめたのです。

このままでは脱線転覆は逃れられないと、乗客たちはパニックに陥ります。


その時です。

彼は今にも暴走しようとする列車に飛び込みました。

列車は転覆寸前で停車。

車外に出た人たちが見たものは、列車が彼の身体に乗っかって停まっているという衝撃的な光景でした。

彼が下敷きとなることで、多くの乗客の命が救われたのです。

ただ、彼が死んだ理由については、事故死であるという説もありました。

亡骸から遺書が発見されたことで、自○ではないかと考える人もいたと言います。

結局のところ、現在でも真相は不明のようです。

しかし、実際に塩狩峠に記念碑が建ち、三浦綾子さんは彼をモデルに

小説『塩狩峠』を執筆しました。

それは、彼の生前の行いがいかに素晴らしかったかを表しているのかも知れません
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