日暮里での人身事故の中

安全確認のため停車中の電車の中でこの記事を開き、いろいろ考えることになる。
幸福の科学が大学を開設するということは勤務先近くの公道の一角にはられたポスターで数カ月前にはじめてしった。『やっぱり信者数とお金の規模だな~』とため息をついたりする。
私は今は特定の信仰を持っていないが、何かを信じることでしか生き続けることができない、人々の中で生きている。同僚も含め入寮者全員が薬物かアルコールで家族も友人も信用も居場所も失った人々。彼らは治療を経て、生涯完治のない病から回復し、ゼロから人生をいきなおそうと、日々社会的文化的にも最低限の生活を、支えあいながらともにしている。『今まで誰も自分を許したり、認めたりしてくれなかった。クスリなどの快楽がないのは寂しく辛いが、今が1番自分に素直に正直に生きられている』そんな言葉を寝食をたまにともにする中できかれると、自分自身も生きていることが許され、居場所を与えてくれる彼らに感謝を投げかえす。

自分の存在が許され、認めてもらえる社会。受け入れ必要とされる場所。『そんなの企業でもどこにでもあるだろう?そんなこと考えている分あまっちょろいんだよ!』という方々も多いだろう。しかし依存症の病で借金を重ね家族も心中まで追い込むような過去をへてきた方々や、その家族から話をきくほどに、依存症当事者の両親や家族ほど、甘えや妥協を許さない厳しい人間であったことがよくわかる。『それは裏がえしで、私の弱さ、心の空虚さそのものでした。私が弱く殺伐とした世の中に苦しんでいたからこそ、認められているか自信がないからこそ、子供たちには完全を求めた』との涙ながらの親御さんの告白にも触れる。
同時に親が自らのルールを徹底する教祖で家族が強制的に信者とされるような世界も、各家庭にはみられる。そこには聖典や教業はなく、親のその日の気分こそが全てとなる。
いまだに日本では信仰を持つ人々をいろめがねでみたり、カルトと同一視しようとしたりする人々が多いのが事実なのだろう。
催情剤
淫インモラル
女性用精力剤
Calendar
«  July 2016  »
S
M
T
W
T
F
S

 
 
 
 
 
1
2
3
4
5
6
7
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
21
22
23
24
25
26
27
28
30
31
 
 
 
 
 
 

search this blog.
category
archives
links
others