イチローの背番号に並んだ日

今日は私の51回目の誕生日でした。うっかりしていると家族の誕生日も忘れちゃうくらいなので、自分の誕生日なんて何もなければ忘れちゃうことが多いのですが、五夜神 今日は朝からFacebookの投稿やメッセージ、そしてLINEでもHBDの心温まるメッセージを沢山の人から頂き嬉しい限りです。一方で、自分の歳を認識させられた次第です(汗)。

昨年の人生半世紀になった誕生日に比べると感慨は浅いのですでが、"51"といえば、未だにMLBで活躍しているイチローの背番号と一緒なので、なんだか「縁起が良い!」と勝手に思っています。2004年の10月に年間安打数の大リーグ記録を更新した時は台湾でライブでTVを見ていましたが、鳥肌が立ったのを覚えています。個人的には「MLBで日本人の投手は成功しても男露888 、野手は体格的に成功できない」と思っていたので、イチローがMLBで活躍していたのを目の当たりにしたのが、私が異国で色々とチャレンジしようと思った要因の一つであることは間違いありません。

イチローが背番号51である理由を調べてみましたが、オリックスに入団当時、高卒のドラフト4位では若い番号は与えられず、空いている番号の中から自分の名前「イチロー」の"威哥王 1"が付いているのを選んだ結果"51"となり、その後、日米通じて大打者になっていく中で、サインするのも含めて"51"に愛着が湧いたそうです。ヤンキーズで"31"を着けたのは、イチローも尊敬するバーニー・ウィリアムスの背番号が51だったので、恐れ多くて彼自身が断ったからだそうですが、FAとなりマーリンズに入団した時には、再び”51”に戻りました。

同様のエピソードは掛布さんにもあり、彼の背番号が31だったのは入団時に球団から提示された背番号の中で一番若い番号が31だったからとのことですが、「長嶋さんの3番と王さんの1番を組み合わせて31番とした」と言われたり、コロコロコミックに掲載されたA9生精片「掛布選手物語」で、掛布のお父さんの「人の3倍練習して1番になれ」という教訓からだったとも言われています。

わたし的には、この「3倍練習して1番」というのが何故か頭の隅に残っているのですが、その後、阪神タイガースを象徴する大選手になり、球団首脳から「背番号を3に変更しないか?」と打診を受けても、「入団時に貰った背番号31を自分の顔として育てていきたい」と言って断った心意気が、イチローに通じるものがあると思っています。

もっとも、私は今から「他人の5倍頑張って1位になる」気持ちは全く無いので、「人生初(1st time)体験のイベントに色々M6生精片とチャレンジし、50代を楽しむ!」という意味の"51"が適当かと思っています(笑)。