花粉症との戦い

昨夜、軽い船酔い状態になった。寝る前に頭痛がしたのでアセトアミノフェンを飲んで寝た(胃にやさしいがあまり効かない)。朝、頭痛で目を覚ました。めったにない事だ。またアセトアミノフェンを飲んだ。いよいよ花粉症も佳境に入ってきたようだ。他の方の日記やコメントを読むと、多くの方が悩まされている様だ。ここで私の対処方法を書いてみる事にした。
King Wolf狼王戦宝:http://www.kanpoucom.com/product/525.html
飲み薬:
クラリチン 朝1錠
ザイザル 夜1錠
点眼薬:
リボスチン
フルメトロン(ステロイド)
点鼻薬:
ナゾネックス(ステロイド)

すべて病院で処方してもらっている。市販薬は効いたためしがない。ただしアレグラは薦めらる。ザイザル、クラリチンの前は処方薬として服用していた。

おかげで症状としては、
鼻: くしゃみ、鼻水は激減し、鼻づまりだけになった。
それまではどこへ行くにもティシュボックスを携帯し、シーズン半ばには、鼻水のかみ過ぎで、鼻の下が赤くただれ、ヒゲが剃れなくなっていた。
目: 痒みが減り、埃が入ったようなゴロゴロ感だけになった。
全身状態:
威哥王:http://www.kanpoucom.com/product/96.html
眠気が減り、ダルさが軽くなった。
発熱はないが風邪をひいたような状態、集中力の減退、鬱っぽい精神状態は、いく分ましにはなったものの相変わらず発症し続けている。
私の生存中、根治は難しいかもしれないが、上述の対処療法により、全体的に以前と比べはるかに楽になってきている。現代医学に感謝です。

今日は早退でーす

今日はテレビの修理に業者が来るので
1時間半早退です。
超強黒倍王
今日からテレビが見れる~。
今まではタブレットでテレビ見てました。
データ通信料がちょっとだけ浮きます。
もうちょっと稼ぎが良かったら
Wi-Fi付けるんだけどな。そんな
贅沢は今は出来ません。

ついでに実家からもらったHDDも
取り付けて録画できるように設定して
もらおうっと。

そしたら、福山さんのドラマ録画出来るし
見ることも出来る。

さて、時間が来たので、帰ります。
精力剤販売店
また明日・・・

9条とあゆむ(下)平和願い 絵筆に力

◆平塚市の画家・三代沢史子(みよさわちかこ)さん(74)

 個展を開くときは必ず、「史子平和展」と題する。クロアチアの女性との交流がきっかけだった。

 一九八九年、取材旅行で旧ユーゴスラビア(現クロアチア)のドブロブニクを訪れた。「アドリア海の真珠」と称される美しい旧市街をスケッチ中に、通りがかった女性に声を掛けられた。「私の家はもっと景色がいい。来ませんか」。リフィカ・クネゼヴィッチさんとの出会いだった。

 帰国後、文通を続けた。「助けて」と書かれた封書が届いた。九一年、クロアチアがユーゴからの独立を宣言し、内戦が始まり、ドブロブニクも砲撃にさらされた。二人の子どもを抱えるリフィカさんの身を案じた。
三便宝
 平和を強く願う三代沢さんには「原体験」がある。四五年七月、三歳のときに疎開先の福岡県大牟田市で空襲に遭った。父は出征していて不在。母、一歳にならない弟、十四歳のいとこと一緒に防空壕(ごう)へ逃げ込んだ。

 爆音が響き、天井が崩れた。防空壕を出て、向かいの防火用水池に身を沈めた。空襲がやむと、防空壕にいた人たちが道のそこここで息絶えていた。「はっきりと覚えている。今も、飛行機が近づいてくる音を聞くと落ち着かなくて」

 個展での売り上げや募金などを、クロアチアへ向かう新聞記者らに救援金として託した。「リフィカさんに届かなくても、誰かのためになれば」。救援金は九一年から十年間で、総額三百万円ほどになった。内戦下では現地通貨より円の価値はずっと大きかった。二〇〇一年、三代沢さんはドブロブニクを再訪し、救援金が乳幼児や孤児らのために役立てられたと知った。

 〇五年、リフィカさんの提案を受け、ドブロブニクで「平和展」を開いた。自作の絵を展示し、ひな人形や七夕飾り、茶の湯など日本文化を紹介した。約三百人の市民が集まった。一人の女性が言った。「私の父は戦争で日本兵に殺された。ずっと恨んでいた。でも水に流したい」。ぐっと胸が詰まった。

 「理解してもらえたのは日本が二度と戦争をしないと憲法で決め、ずっと守ってきたからだ」と思った。「戦後、日本が積み上げてきたことを大事にしなければいけない。日本も武器を持って海外で戦うということになったら、海外の見方も変わる」
◆平塚市の画家・三代沢史子(みよさわちかこ)さん(74)

 個展を開くときは必ず、「史子平和展」と題する。クロアチアの女性との交流がきっかけだった。

 一九八九年、取材旅行で旧ユーゴスラビア(現クロアチア)のドブロブニクを訪れた。「アドリア海の真珠」と称される美しい旧市街をスケッチ中に、通りがかった女性に声を掛けられた。「私の家はもっと景色がいい。来ませんか」。リフィカ・クネゼヴィッチさんとの出会いだった。

 帰国後、文通を続けた。「助けて」と書かれた封書が届いた。九一年、クロアチアがユーゴからの独立を宣言し、内戦が始まり、ドブロブニクも砲撃にさらされた。二人の子どもを抱えるリフィカさんの身を案じた。

 平和を強く願う三代沢さんには「原体験」がある。四五年七月、三歳のときに疎開先の福岡県大牟田市で空襲に遭った。父は出征していて不在。母、一歳にならない弟、十四歳のいとこと一緒に防空壕(ごう)へ逃げ込んだ。

 爆音が響き、天井が崩れた。防空壕を出て、向かいの防火用水池に身を沈めた。空襲がやむと、防空壕にいた人たちが道のそこここで息絶えていた。「はっきりと覚えている。今も、飛行機が近づいてくる音を聞くと落ち着かなくて」

 個展での売り上げや募金などを、クロアチアへ向かう新聞記者らに救援金として託した。「リフィカさんに届かなくても、誰かのためになれば」。救援金は九一年から十年間で、総額三百万円ほどになった。内戦下では現地通貨より円の価値はずっと大きかった。二〇〇一年、三代沢さんはドブロブニクを再訪し、救援金が乳幼児や孤児らのために役立てられたと知った。

 〇五年、リフィカさんの提案を受け、ドブロブニクで「平和展」を開いた。自作の絵を展示し、ひな人形や七夕飾り、茶の湯など日本文化を紹介した。約三百人の市民が集まった。一人の女性が言った。「私の父は戦争で日本兵に殺された。ずっと恨んでいた。でも水に流したい」。ぐっと胸が詰まった。

 「理解してもらえたのは日本が二度と戦争をしないと憲法で決め、ずっと守ってきたからだ」と思った。「戦後、日本が積み上げてきたことを大事にしなければいけない。日本も武器を持って海外で戦うということになったら、海外の見方も変わる」

 〇三年には「平和を語りつぐ」と冠した催しを平塚市で始めた。「かつて日本も戦争をしたことが忘れられてしまうのではないか」と危惧する知人の新聞投書を読み、すぐに「やろう」と決めた。毎年、戦争体験者の講話や絵画、写真、映画など趣向を変えて、平和の尊さを説き続けている。

 今、リフィカさんからは内戦が続くシリアの人々を憂えるメールが届く。平和と自由を願い、絵筆に力を込める。(吉岡潤)

 <2冊の絵本> 三代沢さんは戦後50年の1995年、3歳のときの空襲体験を描いた絵本「わすれない あの日」を出版。2012年には、クロアチア・ドブロブニクの守護聖人ヴラホを主人公として、戦渦に巻き込まれたドブロブニクに平和が戻るまでを絵本「聖ヴラホ物語」にまとめた。

 また、2011年の東日本大震災発生を受けて、画家仲間で「平和を願う美術家の集まり」を結成。12年から毎年5月、京都市で「反核 反戦 反原発」をテーマにした展覧会を開いている。今年も7~12日、文化交流センター京都画廊(同市上京区)で約40人の作品を展示する。

 〇三年には「平和を語りつぐ」と冠した催しを平塚市で始めた。「かつて日本も戦争をしたことが忘れられてしまうのではないか」と危惧する知人の新聞投書を読み、すぐに「やろう」と決めた。毎年、戦争体験者の講話や絵画、写真、映画など趣向を変えて、平和の尊さを説き続けている。

 今、リフィカさんからは内戦が続くシリアの人々を憂えるメールが届く。平和と自由を願い、絵筆に力を込める。(吉岡潤)

 <2冊の絵本> 三代沢さんは戦後50年の1995年、3歳のときの空襲体験を描いた絵本「わすれない あの日」を出版。2012年には、クロアチア・ドブロブニクの守護聖人ヴラホを主人公として、戦渦に巻き込まれたドブロブニクに平和が戻るまでを絵本「聖ヴラホ物語」にまとめた。
中絶薬 また、2011年の東日本大震災発生を受けて、画家仲間で「平和を願う美術家の集まり」を結成。12年から毎年5月、京都市で「反核 反戦 反原発」をテーマにした展覧会を開いている。今年も7~12日、文化交流センター京都画廊(同市上京区)で約40人の作品を展示する。