自尊心と正義

僕が小中学生の時も、所謂、怖い先生ってのは居た。直ぐに手の出る先生というのは居た。

そういう先生に対して、子供たちは、怖いからとよく言う事を聞いたもんだった。
子供というのは、よく人の事を見ていて、ああこの先生だったら少しくらい口答えしてもいいかな、とかナメた態度を取ってもいいかな、と先生を見て判断する。
狼一号
だから、先生によって生徒の態度というのはコロコロ変わる。

それはきっと今も昔も一緒なんじゃないだろうか。大人になって、いくら今の子供は生意気だの子供の躾がなってない、だのと偉そうに言っても、昔から子供というのは、大して変わらない。
こういう態度を取る子供はいる。

ただ思うのは、自分にも今年から小学生に上がる息子がいるし、自分の息子には、先生に対する敬いの気持ちと、先生の仰ることは確りと聞くようにと躾はする積りだ。だが、そんな息子だって、小学生になって他の友達との関係性の中で、先生を値踏みするようになるかも知れない。
まあ、自分もそうやって大人になったんだから、子供というのはそういうもんで、人間というのは、狡くて強かなトコロがあるものだ。

だから、先生には指導の中で、手が出ることは或る程度は仕方ないものだと僕も理解している。

かく言う僕も、先生に叩かれたコトはあるし、その際に親にそのコトを言おうものなら、親にこっ酷く叱られた。先生に迷惑を掛けるんじゃないと、父親なんかには、先生の倍くらいの拳骨や平手打ちを食らった。
まあ、悪いの自分だ。仕方ない。
五便宝
だが、僕の子供の頃の所謂怖い先生ってのは、加減というものを知っていた。
それは、きっとココロの中でブレーキを掛けていたんだろう。
あくまで教育の中での体罰としての冷静さを失わなかったんだろうと。

だが、この記事の教師はどうなんだろう。加減を知っていたのか。
いや、本人がやり過ぎたと言うくらいだから、加減を知らなかったんだろう。
きっとココロの中でブレーキを踏むことを忘れてしまっていたんだろう。