他人の家

若い頃、大手の楽器メーカーの特約店のひとつに所属して、電子楽器の講師をしていたことがある。どこの街にも駅の近くなどに◯◯楽器の音楽教室というのがあると思うけれど、わたしが主に教えていたのは、楽器店が個人の家の部屋と楽器を借りてそこに生徒を集めるという形の教室だった。今でもあるのかな、そういうの。
 
 自宅でももちろん教えていたけれど、自宅周辺で集められる生徒の数には限りがある。それで、毎日違う家に赴いて、その家の近くに住む生徒を、一日に多くても12人(だから、6、7時間)程度だったと思うけれど、個人指導していた。
  
 その家の子供がまず、生徒のひとりであることもあった。遡れば、わたしの実家も、わたしが子供の頃に教室を開いていたことがあった。友だちと遊びたくても、さぼりたくても、家に先生が来るから逃げられず、レッスンも練習もいやで、楽譜を破りかけたこともあった。というのは余談だけど……
 
 前置きを書いている内に何を書こうとしていたんだか分からなくなってきたぞ。
 
 そう、ひとりで家の中にぽつんといて、ふっとその頃のことを思い出したのだ。
 
 月曜にはA市の山田さんの家、火曜にはB市の田中さんの家……と車で向かうのだが、ほとんどの家が、勝手に使ってちょうだいとばかりに留守がちで、わたしは鍵を預けられていた。(幼稚園もあったけれど今日の話には関係がない)
 
 住宅地にある、普通の家だ。
 普通の家の鍵を開けて、楽器のある部屋に入り、必要であれば扇風機なりエアコンなりストーブなりを点け、最初の生徒がやってくるのを待つ。玄関脇のちゃんとした応接室のところもあれば、2階に上がった一室だったり、お茶の間続きの三畳の板の間だったり、散らかった子供部屋だったりする。共通しているのは「楽器が置いてある」ただそれだけで、その機種も旧いものから最新式のものまでいろいろだった。
 
 他人の家にいる心細さ。それと、その家にある匂い。
 思い出したのはそれだ。
 時にはどこかで電話が鳴る。時には呼び鈴が鳴る。人の話し声がかすかに聞こえて、あれ? ご在宅なのかなと思ったり、ミシッと家のきしむ音にびくっとしたりする。土曜日などは隣の部屋から小さなテレビの音やお父さんのしわぶきが聞こえてきたりする。
 
 生徒がいるときはいいのだ。そこにはやることがあるから。
 でも、居ない時、ひとり欠席すれば30分の間が空いてしまうけれど、シーンとして手持ち無沙汰で、ひたすら楽器を弾いていたりするくらいしかない。今だったらスマフォもあるし、ペットボトルのお茶や水筒を持参したりしたんだろうけれど、当時はそういう発想もなかったんだなぁ……。そもそも飲食などとんでもなかった。
 
 他人の家。
 その一室から動けない。
 トイレだって、お借りしますと言って借りるのはともかく、留守の時に勝手に使うのは気が引ける。とにかく、わたしはまだ若くて今よりずっと繊細だった。(たぶん)
 
 中には、ほぼ在宅していて、わたしが暇そうにしてると「お茶にしましょう」と誘ってくれる奥さんのいる家もあったけれど、あそこの家の男の子はちっとも練習しなかったなあ。
 
 今、家にひとりでいて、その時の気持を思い出したついでに、「他人の家にいる人」になったつもりをしてみた。
「わたし」はこの家の何に興味を持つだろう。
 
 楽器の近くのイスに座り、シーンとした部屋の中を見回す。