「スバル」はなぜ富士重工の名を捨てるのか

富士重工業が絶好調だ。「レガシィ アウトバック」や「フォレスター」のようなSUV(多目的スポーツ車)や4輪駆動車に絞る商品戦略、そして「安心と愉しさ」を打ち出すマーケティングが当たった結果、世界中で車の供給が追いつかないほど販売は好調だ。
同社の前身は1917年に設立された旧中島飛行機製作所にさかのぼる。ちょうど100周年目の2017年4月、社名を富士重工業からブランド名の「SUBARU」(スバルへ)と変更することを決めた。
社名変更を機にみえた富士重工業の危機感とは何か。吉永泰之社長が、東洋経済の取材に答えた。

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■ 「え、スバルと富士重工業って同じ会社なの?」

利益率世界トップに押し上げた吉永社長の経歴

 ――社名を「スバル」へと変更する理由は何か? 

  海外に出張するとFuji Heavy Industries(富士重工業の英語名)と言っても分かってもらえない。昔はどちらも有名ではなかったが、今ではスバルの知名度は高い。

 航空宇宙の仕事でアメリカから来た政府関係者にあいさつをしたとき、私が名刺を出して「Fuji Heavyの社長です」と言うと、先方は私の名刺左上のロゴを見て「スバルとFuji Heavyは同じ会社か?」と聞いてくる。同じ会社だとわかると、「ワォ スバルじゃん !!」という具合で、社名とブランド名が一致していないことで混乱をきたしていた。

 ――前身の中島飛行機時代から、航空機事業は大きな柱だ。社名から「重工業」の文字が消えることに社員の反発はなかったのか。

 発表直後に社員にアンケートをとったところ、賛成6割、反対2割、どちらでもない2割という結果だった。意外だったのが、入社したばかりの20代に反対が多かったことだ。

 推測の域を出ないが、今の若い人は業績が良くなってから入社している。社名に限らず、すべてのことが今のままがいいという思いがあるのではないか。

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 一方で防衛省向けのヘリコプターなどを手掛ける航空宇宙カンパニーの社員からの反対は思ったほどではなかった。大口取引先の米ボーイング本社があるシアトルでは、スバルのシェアは高い。

 ボーイングのパイロットは飛行機会社がつくったクルマだといって、「STI」(スバルのモータースポーツ活動を統括する子会社が開発した車種)を気に入ってくれるらしい。彼らには日頃から「スバルの何とかさん」と呼ばれているようで、特に違和感はないようだ。

■ ファンドが「買収しにきました」とあいさつにきた

 ――若手には危機感が足りない? 

 若手に「大きな変化が来ても乗り越えて見せます」というぐらいの気概が感じられないのは心配だ。

 私は営業出身なので、ディーラーに顧客が全然来ないという経験もしている。当時のセールス担当は、飛び込み訪問の営業も平気で行っていた。

 最近は待っていても顧客がディーラーに来るし、納車に3か月かかるほどクルマが足りていない状態。もし顧客が来なくなったら、社員はどうしていいのかわからないだろう。ひょっとすると皆がじっとショールームで待つのではないか。

 そういう意味では営業としての足腰は弱っているな、と社内アンケートを見ながら感じている。

 ――2000年代の停滞を抜け出し、最近では先進安全技術「アイサイト」やアウトドアシーンでの使い勝手の良さを前面に打ち出すマーケティングがヒットし、付加価値で売るビジネスモデルが定着した。

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 「スバルだったら5万円高くても買っていい」とお客さんが言うのが付加価値。軽自動車の生産をやめるなどの集中と選択を進めながらブランドを磨いてきた。今の時価総額は約3兆円に達しており、他社が簡単にちょっかいを出せる額ではなくなっている。

 私が経営企画部長だった2000年代前半、株価は500円前後を這いつくばっていた。富士重工業は1999年に米GMと提携したが、2000年代に入ってGMの業績が悪化した。誰にも言わなかったが、頭の中では「遠からず、GMは富士重工業の株を手放すだろう」という危機感を持っていた。

 当時の時価総額は約4000億円、これだと韓国や中国のメーカーが2000億円出すだけで、株式の過半数を取られてしまう。

 今だから話せるが、GMと資本提携を解消し、トヨタと提携する2005年よりも以前に、あるヘッジファンドから声がかかった。役員でもない私に会って、一言目に「今日は富士重工業を買いにきました」と言われた。ヘッジファンドという存在に会ったのはこのときが初めて、「え?」となって非常に驚いた。

 GMは業績が低迷していたので、そのヘッジファンドはそろそろ当社株を売りに出るだろうと読んで、私に接触してきたのだろう。