二次元は「理想」の発露の場

「二次元好き」=「オタク」と言う、ステレオタイプな発想のライター。
たとえば、小説の登場人物などのように、文章でデザインされたキャラクターでは、具体的な姿さえ不確定だけれど、想像してみたり、その、作られた人格に恋することもある。

ドラマや映画だったら、生身の人間が、そんな、作られた人格を演じる。
つまり、二次元の特徴は、見た目も人格も規定された創作物と言える。
わかりやすい。同じものを他の人と共有しやすい。
勃動力三體牛鞭
不都合な部分や、イヤなところは省略できる。
現実世界ではありえない付加価値が付けられる。
…こんなところが、特徴だろうか。
これを三次元に具現化すれば、アイドルや俳優になる。
「理想のタイプは?」と聞かれたとき、二次元なら分かりやすいし、人に伝えやすい。

現実世界の、生身の人間は、もっと複雑で分かりにくい。
それを単純にタイプ分けしたがるとか、数値で決めようとするのは、「単純に分かりたい」と言う欲求の高さでもある。

本当は、それだけでは分類しきれないし、分からない。
そこに面白味や深みを感じるのが、人付き合い。
こういう場に二次元的な発想を持ち込むと、オタクっぽい。
紅蜘蛛
小説やコミックやアニメや映画が好きな人は、いくらでも居るわけなのに、わざわざ「オタク」と言うジャンルを規定する意味は、あるのだろうか?
現実社会からの逃避をオタクとするのなら、それはもう、病気に片足突っ込んでいる。
当事者もさすがに、それを認めたくはないだろう。

そういう意味では、「オタク」は文化なのだと解釈するべきである。
それを歓迎しようと、渋い顔をしようと、文化は文化。
文化が恋愛や人の好みに影響しても、それは、その文化を享受する人のものだ。
生身の人間の接触し合うことを避けるような文化が広まったとしても、おかしくないし、無理に止められるものでもない。

選ぶのは各自だ。選ばなかったほうを攻撃したり羨んだりするのは、自分の選択に迷いがあるから。
逆に言えば、そんな程度の文化であり、娯楽である、と言うことなのかも知れない。