ヘリクツの話

こんばんは、修飾語句以外にを無意味に‘ド’をつけるのが大好きな城正です。

桜の花が咲き乱るる季節の折、皆々様はいかがお過ごしでしょうか?

最近、僕はあまりにも「自称・変態」の方がたくさんいらっしゃって(特に10代後半~20台前半)、

目障りに思い、何だか黒い気持ちが溜まっていくのを感じています。

「あなたにとって‘自称・変態’であることはステータスなのですか?」と尋ねたくなるほど、逮捕されたことも無いクセに‘自称・変態’を売りにしているかのような人をよく見かけます。

僕から見れば、「全然フツーの範囲ですよ」「自然な範囲ですよ」と、一声掛けたい存在です。

およそ、よく考えた上での‘自称・変態’設定ではないかと思うので、何気ない発言を生真面目に捉えてしまう僕の方が、普遍性を基準として「間違っている」のでしょうが、どうにも目障りでならんのです。

およそ、この感覚に囚われている人は、女性がトラウマと口にする度に、「うん、それ学習のことね」と内心つぶやいてるかと思います。

さて、図を見て下さい。変態性の深さと存在数の関連を表したグラフです。

ここで言う「変態性」とは個人の経験や、想像力にあまりにも大きく左右されるため、「‘イヤ~ンな感じ’を帯びた愛情表現」と大きく定義しておきます。

また、この定義における「愛情表現」とは、偏愛も異常性愛も含め、発現して(されて)初めて内包や内在を認識出来るという見地に立ったもので、対象が何であるかと、発現の形を問いません。

天辺のゼロのラインは、性的に完全に未分化な少年・少女が恋に落ちるか、不能の男性と不感症の女性が恋に落ちた場合にのみ存在し得ます。

仮に「プラトニック・ライン」と呼びます。

プラトニック・ラインでの例をあげると、「性的に完全に未分化の少年が、性的に完全に未分化の少女に、

四葉のクローバーをプレゼントする」etcがあります。

注目していただきたいのは、「タイホはされない」の領域です。

下辺は「法に抵触」ですので、ラインは万人に平等です。

では、上辺はと申しますと、「普遍性を基準として明らかにヘンタイで、なおかつ、法に触れるギリギリのラインを見極められるほど、冷静にヘンタイである」という風にしか定められません。

グラフではいくらか存在しているかのように見えますが、この上辺と下辺の領域にいつづけられるヘンタイなど存在しません。従って、‘自称・変態’はフツーと結論付けられます。

安心してください、今日タイホされていない僕とあなたはさほど変態ではありません。
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