寝る猫は育つ?

我が家の猫、1歳前は夜通し遊び回っていたのに、
1歳を過ぎてから夜遊びが少なくなってきました。

少し落ち着きが出てきたのかな?
って思っていた矢先、
顔に引っ掻き傷を作って帰宅。

食欲もなく、何処かしらションボリ。

何があったのかは分かりませんがね。

病院へ連れて行った時には、
傷口は乾いているのでこのままにと。

今日は朝からお昼過ぎまでほとんど寝ずに遊んでいました。

しかし、よく食べ、よく遊び、
夜も寝るようになった為か、
体は長ぁぁ~くなりましたね

ケガも2回だけ。

病気知らずの元気な猫クンです。
あっ、ちなみにオス猫なのです。

今夜は昼間に遊びすぎた為か、
寝ています。

明け方には巡回にお出掛けしちゃうんだろうなぁ。

可愛い寝顔は後何時間見られる事やら
蔵秘雄精
五便宝

なんなら、神か?

日本語に関する話し。
ハオ!オレニポジン。ニポンゴシカデキヒン
でも日本語を使いこなせているかというと
全く使いこなせていない。
仕事で
企画書とかキャッチコピー書くとか
短いながらも文章を書いたりとか
そんな仕事してるから
日本語での表現行為は
好きだし面白いと思ってる。
相手に届く
相手に響く
そんな事を常に念頭に置き
依頼人の想いや人柄
実績や性能や特徴などを
出来る限り理解し言葉に込め
形にする。

日本語が持つ
高い水準の機能(付加価値)と性能(質)
それらを純度高く引き出し言葉同士を組み合わせて
より多くの人の心に届く言葉として
依頼人に提供できるか?
自問自答の毎日である。
言葉に拘るがゆえに他の人からすると
どうでも良い事に結構引っ掛かり進まない事がある。
近年、世間で流行る言葉
(1)癒し、癒される。
(2)優しい味
(3)(他人を/自分を)許す
なんだか優しい時代になりましたな…
優しい言葉たちが流行るのは時代が病んでるせいか?
言葉は時代を映す鏡と言われてるからね。
セラピストの横行も時代を映してる気がするし。

これらの言葉たちも
その用途と共に初めてお会いした時に
引っ掛かってしまった…

(1)癒し、癒される。
YYCでよく見ますね?癒されたいとか癒し合おうとか。
この件今更感否めないので割愛。
突き詰めると宗教戦争に為りかねないので

(2)優しい味
何となく分かる…でも分からん(笑)みたいな。
最初に思いついた人は凄いです、この言葉。
キャッチコピーに使う言葉としてはかなりの高性能かと。
ただ、あまりにも流行り過ぎて、逆にこの言葉を使うと
今では頭悪そうだしネタと見られる場合もある悲劇の言葉。
簡単に言うと味濃くなくて身体に良さそうな薄味!←違うか?

(3)(他人を/自分を)許す
メディアに出だしたセラピストの方々が発し流行した言葉のよう。
この言葉も(1)同様にYYCでも多くの方が語っていたので
あくまで個人的見解として書きます。
最初にこの言葉聞いた時の印象は

●他人を許す
・何様だよ!
・上から目線っすか?
・本当に他人が悪いのか?自分が悪いんじゃねーの?
 は、ちゃんとやったか?ですよ。
・受け入れるや理解する、なんならシカトするでも良いけど
 許すはね……傲慢じゃね?
・どんだけ自分大好きっ子なんすか?
・なんなら神か?

●自分を許す
・逃げますか?そうですか。
・過去の自分を全部切り捨てですか?もったいない…
・本当の自分を理解・認識・容認するなら分かるよ。
 ……
今は考えが少し変わってるかも。
ただ使う機会が無いから
未だ使う事に少し迷う言葉たち。
言葉は、辞書で調べれば意味は分かるし
また皆同じ認識で理解できる。
但し使われる場面や使う人や前後の言葉
あとその時の感情や関係など様々な付属品が付く事で
人の数だけ理解が異なってくる難儀な言語。
だからこそ面白い。
仕事で今更日本語以外の習得が必要か否か?
という状況ではあるけれど
オレモトモトォニポンゴジョズニナルタイヨ。
たった一言で
意中の女性を落とせるようになりたい…
あ、ごめん
D10媚薬
D10催情剤

出会いは偶然の積重ね

最近よく思うのは、人生は多くの偶然の出会いに左右されるものだと言うこと。

恋愛にしても仕事にしても、あの人にこの時出会わなければとか、或いはこの人との話を進めていればとか、何らかの分岐点めいた瞬間って誰しもあると思う。

あの時この道を進んでおけば、今頃は違う人と全く違った人生を生きていたのかも知れないという、そういう瞬間だ。


結婚ということで言えば、僕は過去に3人の同窓や同僚の出会いのきっかけを作っている。

僕が27歳の時の話なので、もう既に前世紀ということになるが、とある土曜日、僕は表参道で開催されていた出会いパーティーに参加した。

その日もそれまでに何人かの女性と話したはずだが、そろそろ会もお開きだし、出口から帰ろうかと振り向いたその矢先に、そこに大変可愛らしい女性が立っていた。

聞けば音大卒の25歳の子で、今日は一人で参加したのだという。周りが既に帰り始めているのに脇目もふらず、勢いで何をどうまくし立てたのかは覚えてないが、とにかくその足で彼女を表参道のイタリアンに連れて行くことに成功した。


その後は仲良しの同窓や業界の友人を呼んで銀座で合コンしたり、音大卒の仲間でカルテットを組んで活動してるというので、合コンに来た同窓と一緒に演奏会を見に行ったりもした。

その時に僕の同窓と音大卒の女の子の一人が何となくいい感じになったのは分かっていたが、その一年後、彼らの結婚式に招待された時には本当に驚いた。

新婦のカルテット仲間が演奏するカノンの曲が響き渡る上品な雰囲気の中、新郎新婦には「僕たちのキューピッド」と大変感謝されたが、何より出会いパーティーでの自分のフットワークの軽さが、中高大と仲良しだった同窓の人生をある意味形作ってしまったことに、何か白昼夢のような不思議さを感じざるを得なかった。


その後もパリに赴任した同窓から家族4人で写った幸せそうな写真が送られて来る度に嬉しい気分にもなったが、やっぱり何か夢の中のような気分になったものだ。

あの時パーティーの出口で彼女と目が合わなかったら…あるいは彼女の前に僕がお気に入りの女性をつかまえて一緒に帰る流れになっていたら…はたまた気乗りせずに僕があのパーティー自体に出席して無かったら、彼は一体どうしたのだろうかと。

というのも、そもそも僕らの出た学校は音楽とは縁もゆかりもないし、僕の知る限り、彼には特に音楽のたしなみがあった訳ではないからだ。


最近借りて見た『バタフライ・エフェクト』という映画では、主人公が過去のある瞬間にタイムスリップして過去を変える度に現在の人生が書き換えられていたが、僕も何通りも可能性があった人生の一つをたまたま生きているに過ぎないのかなと思ってしまった。

別バージョンの人生では、思いも寄らない女性を伴侶として、今とは全く想像も付かない人生を送っていたのかも知れない。

「バタフライ・エフェクト」とは、一匹の蝶の羽ばたきが結果として地球の裏側で大竜巻を引き起こす可能性に言及した理論だが、恐らく出会いに関しても、ささいな偶然や一瞬の舵取りが十年後、二十年後の人生を大きく違ったものにしてしまうことってあるのではないかと思う。

あるいはつまらぬ意地の張り合いや遠慮、プライドと言ったものが、後で振り返ってみた時に人生を大きく左右してしまうことも現実問題としてあると思う。