出会いは偶然の積重ね

最近よく思うのは、人生は多くの偶然の出会いに左右されるものだと言うこと。

恋愛にしても仕事にしても、あの人にこの時出会わなければとか、或いはこの人との話を進めていればとか、何らかの分岐点めいた瞬間って誰しもあると思う。

あの時この道を進んでおけば、今頃は違う人と全く違った人生を生きていたのかも知れないという、そういう瞬間だ。


結婚ということで言えば、僕は過去に3人の同窓や同僚の出会いのきっかけを作っている。

僕が27歳の時の話なので、もう既に前世紀ということになるが、とある土曜日、僕は表参道で開催されていた出会いパーティーに参加した。

その日もそれまでに何人かの女性と話したはずだが、そろそろ会もお開きだし、出口から帰ろうかと振り向いたその矢先に、そこに大変可愛らしい女性が立っていた。

聞けば音大卒の25歳の子で、今日は一人で参加したのだという。周りが既に帰り始めているのに脇目もふらず、勢いで何をどうまくし立てたのかは覚えてないが、とにかくその足で彼女を表参道のイタリアンに連れて行くことに成功した。


その後は仲良しの同窓や業界の友人を呼んで銀座で合コンしたり、音大卒の仲間でカルテットを組んで活動してるというので、合コンに来た同窓と一緒に演奏会を見に行ったりもした。

その時に僕の同窓と音大卒の女の子の一人が何となくいい感じになったのは分かっていたが、その一年後、彼らの結婚式に招待された時には本当に驚いた。

新婦のカルテット仲間が演奏するカノンの曲が響き渡る上品な雰囲気の中、新郎新婦には「僕たちのキューピッド」と大変感謝されたが、何より出会いパーティーでの自分のフットワークの軽さが、中高大と仲良しだった同窓の人生をある意味形作ってしまったことに、何か白昼夢のような不思議さを感じざるを得なかった。


その後もパリに赴任した同窓から家族4人で写った幸せそうな写真が送られて来る度に嬉しい気分にもなったが、やっぱり何か夢の中のような気分になったものだ。

あの時パーティーの出口で彼女と目が合わなかったら…あるいは彼女の前に僕がお気に入りの女性をつかまえて一緒に帰る流れになっていたら…はたまた気乗りせずに僕があのパーティー自体に出席して無かったら、彼は一体どうしたのだろうかと。

というのも、そもそも僕らの出た学校は音楽とは縁もゆかりもないし、僕の知る限り、彼には特に音楽のたしなみがあった訳ではないからだ。


最近借りて見た『バタフライ・エフェクト』という映画では、主人公が過去のある瞬間にタイムスリップして過去を変える度に現在の人生が書き換えられていたが、僕も何通りも可能性があった人生の一つをたまたま生きているに過ぎないのかなと思ってしまった。

別バージョンの人生では、思いも寄らない女性を伴侶として、今とは全く想像も付かない人生を送っていたのかも知れない。

「バタフライ・エフェクト」とは、一匹の蝶の羽ばたきが結果として地球の裏側で大竜巻を引き起こす可能性に言及した理論だが、恐らく出会いに関しても、ささいな偶然や一瞬の舵取りが十年後、二十年後の人生を大きく違ったものにしてしまうことってあるのではないかと思う。

あるいはつまらぬ意地の張り合いや遠慮、プライドと言ったものが、後で振り返ってみた時に人生を大きく左右してしまうことも現実問題としてあると思う。