優しさについての考察

「優しい」
親切で思いやりがあること。性格が素直でおとなしいこと。
※由来・語源辞典より
「親切」
人情のあついこと。思いやりがあり、人のために尽くすこと。
※語源由来辞典より
故に
「優しい」
人情のあついこと。思いやりがあり、人のために尽くす。

優しさという言葉の定義があいまいなので、現代の意味に絞って言語学的に考えてみた。

「情があって、人のことを思いやりながら尽くせること」

正解が沢山あるという言葉で逃げるのをやめると、上記の定義が客観的、尚且つ時代的にも正解である。

昨日とある女友達と飲んだ。

彼女は自身にアプローチする男性について話していた。

「彼はとても優しい。私の行きたいところに連れて行ってくれるし、したいことをさせてくれる」

果たしてこのことが思いやっている行動なのだろうか。

人のことを思いやれば思いやるほど、相手の思うがままにしてあげるとこが正しいと考えれなくなるのではないか。

世界というのは自分の思うがままにできなくなってるし、それが死ぬまで続く。

そこから目を背けさせるドラッグのような存在こそが、したいことを全てさせてくれる人だと思う。

彼女が彼と付き合って、死ぬまで彼と一緒に居て、彼の態度が変わらないならばある部分では問題はないかもしれない。

しかし、彼が付き合えなかった場合、もしくは付き合った後別れた場合、彼女はただの「我儘女」になってしまうのではないか。

そうなったとき彼女をそうしてしまったのは彼であり、結果的に「優しかった」とは言えない。

親が子供に厳しく振る舞うことがあるのも、子供の「ため」の思いやりであろう。

最終的に優しさは健全な親と子供の関係に落とし込まれると思われる。

彼の(優しさ)を分析すると、彼女から好かれたいがためにしている行動であり、エゴである。

「そうは思わないか?」

と彼女に一つの選択を与えたとき、彼女はびっくりしていた。

「自由を享受してくれる人」と「優しい人」は全く別物である。

どちらを好きになるのも個人の自由だ。

ただし自分は「優しい人」と一緒に居たい。
威哥王
巨人倍増