中村紘子さん死去 闘病中も演奏に情熱「舞台は私の生きる世界」

二十六日に七十二歳で亡くなったピアニストの中村紘子(ひろこ)さんは、二〇一四年二月に腸閉塞(へいそく)の手術でがん細胞が見つかり、一五年一月に初期の大腸がんと診断されていた。その後、抗がん剤治療を受けながら、合間を縫って演奏活動を継続。昨年六月の記者会見では「古いファンの励ましや(聴衆が)待ってくれることが何よりもうれしい」と話していた。
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 昨年八月から活動を休止していたが今春、活動を再開、川崎市などでオーケストラと共演。終演後「やっぱり舞台は、私の生きている世界だと思いました」と語っていた。五月八日の兵庫県洲本市のリサイタルが、公の場での最後の演奏だった。

 ◇ 

 国内外で三千八百回を超える演奏を重ね、日本のクラシック界をけん引した中村さんを悼む声が共演者らから相次いでいる。
 四月に川崎市で開かれた演奏会では、飯森範親さんの指揮で東京交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲第二十四番を演奏した。中村さんは聴衆から盛大な拍手を浴び、柔らかな笑顔を見せた。「はじけるような音で、ウイットに富んだ、喜びにあふれた演奏でした」と飯森さん。
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 「毎公演、全力を注いできたからこそ五十年以上、第一線で活躍し続けられたのだろう。『音楽家はこうあるべし』と教えてくれました」と語った。

 中村さんは一九九七年から十二年間にわたり、浜松国際ピアノコンクールの審査委員長を務め、浜松国際ピアノアカデミーの音楽総監督として若手の育成にも意欲的に取り組んだ。二〇〇〇年に浜松国際ピアノアカデミーに参加したピアニストの上原彩子さんは「世界で通用するようにと全力でバックアップしてくれた。心強い存在でした」。

 上原さんは後に、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した。「会えばいつもユーモアを交えて、応援してくれた。紘子先生に教えられたことは心に残っています」と話した。
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