海の風景

人間の老夫婦(串田和美、草笛光子)と巨大トカゲの若い夫婦(池田鉄洋、小島聖)。得体の知れない者同士が、偶然遭遇したら…。ただそれだけを描いたベケット的な作品ではあるが、自由な解釈が許されており、無限大の想像力を駆り立てられる。

前文だけ読むとファンタジーに思えるかもしれない。舞台上を支配する空気には妙な現実感がある。老夫婦の会話は永遠に続きそうな日情性に溢れ、トカゲ夫婦の登場も極めて自然で、スッと描写に溶け込む。

生々しいトカゲのコスチュームが上手く効いていた。中途半端にしていたら、それこそファンタジー。不気味さを感じるほどリアルにしたことで、老夫婦の恐怖心を自然に感じさせる。

一方、人間に対するトカゲの怯えと好奇心を表現する上でも、異質なビジュアルは支えになった。役者にとってトカゲに成りきるのは簡単でないけど、生身よりも演じやすかったのではないか。

冒頭から延々と続くのは、海辺でバカンスを楽しむ老夫婦の会話だ。妻は色々と計画を立てて、夫の尻をたたく。でも、仕事を辞めて一息ついた夫は、何もせず休んでいたい。

噛み合わない会話。家庭内の光景が、そのまま海辺に移っただけにも見える。熟年離婚の典型例のようだけど、妻が夫への関心を失っていないだけマシか。

不毛な時間が過ぎる。人生においても演劇においても、そんな一時は無駄ではない。不毛さの中にこそ、本質が垣間見えもする。

しばらくして、トカゲの姿が舞台後方にチラッと見える。客席から笑い声が漏れる。まつもと市民芸術館の観客の感度は良い。

互いに警戒し合う人間とトカゲ。動物的な本能によって相手との距離感を図る様は、滑稽に見える。でも、我々は日常において彼らと似たような行動をする。決して他人事ではない。

死んだ振りをしたり、棒でつついたりして様子を伺う。急速に距離を縮めるのは言葉だ。普通に通じる。何故だと思わず突っ込みたくなる。設定に対する賛否は分かれるところだろう。

実際、言葉が通じない設定にして、ボディランゲージだけで分かり合うという筋書きもあり得る。米国人作家デイヴィッド・オルビーは、そうしなかった。それこそ彼の作風だろう。

人間とトカゲが会話する非日常性の中で浮かび上がるのは、互いの生き物への純粋な関心だ。身なりや身体的特徴から、果ては生殖や生死まで…。会話が弾む。と思いきや、いきなり険悪な雰囲気にも。揺れ動く関係性が面白い。

他者への理解は、何も人間とトカゲ間だけではない。それぞれの夫婦間にも生まれる。作家が一番伝えたいメッセージではないか。

四人の役者が完全なる自然体で演じたとき、最高の輝きを放つ作品に思える。役者の組み合わせによって、味わいも異なるはずだ。草笛と串田、小島と池田。この取り合わせは、大人の味覚に応える上質な設えだった。
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