って頭を下げた初

日本の三大庭園とした兼六園や後楽園、偕楽園??或は「近江八景」などもご承知の通り中国の昔を模倣した名称である。水戸光圀公が命名したとされる後楽園は大正12年に「小石川後楽園」と改名された。岡山には既に後楽園(御後園)があったのである。中国??岳陽旅遊市場楼は西に洞庭湖を望み杜甫の『岳陽楼に登る』や李白の『静夜に思う』など時を生きた詩人たちは漂白の心情を綴り戦乱に想いを廻らせては傷心を詠んでいる。


「岳陽楼記」からは時代が下がるが南宋に范成大(石湖?1126~1193)なる詩人が居て石湖畔で晩年を過ごしている。日本では幕末の混乱期に蛮社の獄に繋がれた田原藩士で文人画家の「渡辺崋山」が石湖の生き様に自身を重ね心酔したという。崋山は幼少期に病める父の薬代に苦しむ母を見て育った。成人し藩の家老職に着くが一部藩士の陰謀で蟄居謹慎の身となる。藩主に及ぶ迷惑を避けようと自刃を決断するのである。


《不孝不忠 渡邉登??》天保12年、渡邉崋山49歳のことである。急報で駆けつけた崋山の母は武士の作法を心得て果てた服務式公寓様子を見届け「立派な最期を遂げてくれた」と我が子を誉めたという。崋山は「范成大」の詩集「四季田園雑興」に自身の作品を添え「田園雑興図」11景を残している。蟄居謹慎中で門弟らが隠して差し入れた紙片に描かれた絵は扇面ほどの小品だが「范成大」の詩に崋山の思いを重ねた淡彩の素描で素晴らしい。


幕末~明治初年に活躍した日本の南宗画家たちは競って洞庭湖や岳陽楼を題材に多くの作品を描いた。中には「先憂後楽」の全文を模写した幅を見かけることもある。「先憂後楽」??何時の時代も政治(まつりごと)という世界は安定を欠くのが常か?と思う時がある。平成の日本に目を向けてみる。何処の藩?を覗いても国民の為に立ち上がろうとする政治家はいない。選挙が巡るたび「お願いします??」と頭を下げる先生は沢山いるが国が憂うべき時こそ真の牽引役になってくれるのが先生方の仕事であろう。


真剣を翳して国の為、民の為に働く先生が居るならそれに応じたいと思うのが国民の常だと思う。法改正で「新青年層」が加わ醫學美容り「選挙畑」は広がった。先生方にはもう一度駅前に立心に帰って政治に取り組んで戴きたいと願う愚老の戯言である。

書画や骨董?美術品を鑑賞するのは愉しいことだが製作年代やジャンルの幅は広く、その真偽を鑑定するというと多くの識見が必要で、同時に大変な作業なのである。現存する作者の作品なら、私が描いた(造った)作品に相違ありません??という人がいるから問題はないが物故作家の場合は真偽識別の判断に悩み苦しむ時がある。

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