しあわせ。

お盆が過ぎ、秋の匂い漂う夕暮れ。

仕事から帰って洗車しながら、ぼやんと考える。

俺、「しあわせ」なのかなぁ・・・って。



人間そのものも、それを取り囲む環境も事情も、多面的。


両親は既にナシ、兄弟ナシ、嫁ナシ、恋人ナシ。

一年のうちに母が亡くなり恋人が去り、独りになった時

意識的に「孤独感」や「淋しさ」という感情を、封印した。

そうじゃないと、独りで生きていく不安に、抗し切れなかった。



その代わり、「独り」を、ココロや生活の軸に置いた。

しあわせの根源を、他人に求めて執着しないことにした。

楽しみ、面白いこと、生き甲斐は、自分で見つけることにした。



他人のココロは所詮、そのヒトのモノだ。

トモダチになってもコイビトになっても、それは契約じゃない。

明日、傍から居なくなっても、誰にも何も訴えられず、責められない。

でも・・・自分で得たものは、自身が諦めない限り、裏切らない。



そうして15年近い日々を過ごす内に、似たような友人が出来た。

気ままに好きなように暮らしていても、自然に繋がっているトモダチ。

趣味が同じで価値観がよく似ているから、快い気持ちも距離感も

お互いナチュラルに保っていられるのだろう。



ある角度から見ると、寄る辺無き天涯孤独のスナフキン。

ある角度から見ると、(給料は少ないけど)正社員でメシ食ってる。

ある角度から見ると、(少し古いけど)住処があって、自由気まま。

ある角度から見ると、多趣味で個性的で自律した価値観の持ち主。

ある角度から見ると、とても風変わりで女性と縁のない、頑固者。



結局ね、「しあわせの基準」なんて、ないんだよ。



例えば、お金持ちなのに使う暇も無く朝から晩まで365日働き詰めだと

あんまり意味の無いことになってしまう。


例えば、モンゴルの遊牧民は定住地を持たずテント住まいだけれども

だから不幸なのか?というと、たぶん本人たちはそう思っていない。



○○がないと不幸だ、△△じゃないから不幸せだ、と思い始めたところから

「そのヒトにとっての不幸」って、始まるんだろう・・・そんな気がする。



カネはあんまりないけど、毎日三食メシ食えて、バイク持ってる。

長年愛するクルマを維持しつつ、安く買った軽自動車で通勤してる。

贅沢しているようで、でも彼女は出来ず、ヨメ貰えずじまい。


だけど本人、「淋しい」っていう自覚がマヒして、全然無い。



ダメ人間確定ってのは置いといて、俺って、シアワセ? 

それとも、フシアワセ?



これでこのままカノジョもホシイとか言い出したとしたら・・・

身の丈をわきまえない、無いものねだりのフトドキモノなんですかね。

電車で立ちんぼで

この時間上大岡から大体座れるんですけどねぇ、、
残念、立ちんぼなう。
普段跳ね上がってる補助椅子は、この時間間違いなく使用不可。
まだまだ若いくせになに言ってるの!って思いますでしょう?
京急だけならいいけど、他の路線も使うので、片道1.5時間立ちんぼなんですよ。
連日これが重なると、ちょっと疲れちゃうな~。
かといって他の乗客と椅子取りゲームみたいなことはしたくないです、。

しゃあない、今日も立ちんぼしますか!