無様でも、みっともなくても、ただある思いを大切に純粋に守ること

それが、多分、必要な時代だと思う。
悩みの当事者じゃなければ、どうせ○○だったんでしょって他人は言える。
けど、いざ、当事者になったら、どうしたら良いんだろ?え?なんで?分からないってなる。

いつも誰かの思いを想像して生きてきたのなら、こんなことはきっと思わない。
そうだよね、辛かったよね、泣きたかったよねってきっと言ってあげられる。
昔、兄ちゃんが自分よりなんでもできて嫉妬してた時期があった。
テストの点数が私なんかよりはるかに良くて、良いなって思ってた。
けど、実際、そうじゃなかった。

兄ちゃんは、お母さんの言葉を忠実に守ろうと、自分の思いを押し殺して、結果を出してきたんだ。
面白いからやるんじゃない。結果が出なくちゃ、自分がいても良い場所がなくなるから、ただ必死にやっていたんだ。
そう思うと、なんだ。そっか。同じなんだなって思うとホッとする。

っで、自分は自分で考えることがある。

自分という人間がまずいて、自分が大切にしたいと思う人がいて、その人を守りたいと思うときに本当に人は力を出せる。
自分だけのために生きたら、本当に困ったときに、戦えない。
誰かが自分の後ろにいるから、その誰かを守っていきたいから、お父さんも頑張れるんだと思った。

生きれば、生きるほど、しがらみは増えるけど、そのしがらみがなくなると、自分というものが形成できなくなる。それが逆にこわいから、働くんだろうな。
お父さんの気持ちやお母さんの気持ち、お兄ちゃんの気持ち、年上の気持ち、年下の気持ち、そういうものをきちんと理解していきたいな。
世の中って弱肉強食だもんな。
弱かったら、死ぬんだもん。そんな社会にしてたまるかって思うのなら、一部始終を見るべきだよな。弱いとどうなるのか。恐怖を知るからまた強くなれる。そんな気がする。

花の命は・・・・

「放浪記」の一節
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」の碑は桜島にありました。「花」といえば桜なのでしょうね。
本当に桜に投影して、惜春をうたったものには、日本人ならば誰だって共感できる。
舞台の「放浪記」にあける森みつこさんならば、なるほどきれいで花の命は・・・・といってもうなずけるけど写真によれば作者はそんなにきれいではなかったし、むしろ退廃的なだらしない感じなのですね。
だけれど日本文学の世界で、花に投影して自分を歌にうたえば、みな美男美女に感じられてしまう。桜というのは本質をかくす妖しい魅力があるらしい、花の下には死体が埋まっているということを言った人もいたな。

桜、現実を幻惑して判断を誤らせる魅力があるのだろう。
心がどうにも落ち着かない、桜の季節は遺伝的な日本人の心性なのか、私も落ち着かないのです。
桜の季節、日本人ということを意識する季節でもあります。

さて、桜にかくれて自分の本性をかくして歌などをと思うけど、これがまた才能の問題で、なかなか詠えない。