“想像力のない”悪魔のいけにえ

これから、このようなネットでの画像公開により、疑いがかかっているだけの人間(それが発信者側にしか状況がわからない中)が世界中に顔をさらされ、犯罪者と特定され、ただでさえ生きづらさに相互に攻撃しあう社会で、怒りの矛先のスケープゴートが増加していくことは人ごとではない恐ろしさを感じる。

私の知り合いで刑務所を出てきた複数の方々は「もう新宿なんかにいけえねえよ。だってどこにいってもオレは防犯カメラで撮影されているからよ。もう死角なんてねえんだ」というような話をする。これは覚せい剤使用による追跡妄想の名残とも思えるが、実際、彼らはそれを実感しているという。
まあ、実際犯罪などに手を染めなければ、冤罪をかけられても、はっきり自分の潔白を主張して堂々としていられるのだが、警察が徹底的に捜査して様々な証拠をもとに、その人物と特定して捜査に進まない上で、写真公開はあまりに危険だろう。そのような想像力がなければ、人々は義憤にかられて「顔をさらされて当然」と当然とするだろう。

なぜそこまでひとつの企業が発表する情報など信じられるのか?国が人権に責任を持つのは歴史だが、一つの企業に一人に人間の権利を守ることなどできるのか?

たぶん明日にはどこかの企業が、万引き犯の後ろにいた私やあなたの顔写真をネットでモザイクなしで公開し「こいつが万引き常習犯の鬼畜だ!」とのコピーで写真をのせるだろう。その時、私やあなたはどうするのか?
そしてこの流れが進めば、自警意識は個々人に寛容になり、銃がなくとも、様々な方法で冤罪の方々が攻撃され、傷を負うことになるだろう。

罪のない自分の顔が出されたらどうか?そこから何事にしても考えてみたい。
蔵八宝
巨根カプセル
999皮炎平