「~の声」って誰の声?

政治かがその言葉を読み間違えれば、「未曾有」を鬼の首をとったかのように、みぞうゆ、みぞうゆ!と連発し、車が舗道や店舗入口に侵入すれば、つっこんだ、つっこんだ!といやらしい匂いがただよう言葉を連発するマスコミ。それに乗じて日常的に口にする人々に触れたりするほどに、その人の過去や親や育った環境とはどのようなものだったのか?考えること、自分だったらどう言葉にするのか?なぜ右ならえの表現に乗れるのか?と考えてしまう。
999皮炎平
この大島さんをめぐる記事にある、~の声、という表現にも同じものを感じる。別に、痩せた!と評判!とか、激やせへ熱視線!とか、激変に驚き!とかでそのような反応があることは表現できるはず。なぜ~の声、~の声なのか?ネット上での書き込みは声じゃないだろ?そんなに生身が恋しいのか?外に出て叫んで響いてくる声が届くなら、~の声の見出しもやぶさかではない。
威哥王
結局まわりがやっているからやっている。まわりがやらないことはやらない。そういう人々が重宝され従順な歯車としてことなかれの中で生きて、子供たちに「抵抗しても無駄なんだよ!あきらめて生きろ!」と喜怒哀楽の表現を封じる。結果、泣きたくとも怒りたくとも表に出せず、うつからたまりかねたものの爆発で猫殺しや薬物などの違法を通じた自傷行為、そして理由なき殺人や電車ホームへの飛び込みへの道をひらく。精神科医療や支援の現場にいるごとに、そのルートは統計的に明らかだ。

すべてを止めて考えたほうがいい。そうできない背景を考えさせない社会のほうが異常と考える。その異常のまま家庭を築いたら、気づいた子供たちに何と教育するのか?