「性欲」と「肉」の関係

肉」と聞いて何が思い浮かぶか。
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豚、牛、鶏などの食肉。おなか回りに蓄えられる人の自身の肉は贅肉である。
食肉だけでなく魚などもときには肉と呼ばれる。魚肉ソーセージ。果肉。

人は今食べる側にいるが少し歴史をさかのぼるとサバンナの祖先たちはライオン等の牙と爪に引き裂かれていた。また死んだあと今も微生物やウイルスなどに食べられている。
人間もまた肉である以上食べるものであると同時に、食べられるものである。

肉への欲求は文字どおり肉欲と呼ばれるが、この言葉は食べることより交わることへの欲求という意味合いが強い。
セクシーな女性を見ると美味しそうだ、食べたいと思う。
肉欲はむしろ性欲であり、色欲であり、肉は食べるもの、食べられるものであるだけでなく、触れあい、交わり、宿し、生むものである。
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このように肉がまず何よりも、食べることと交わることと密接に結びついているとするならば、「肉」の存在論とはとりもなおさず「生きる」ということの存在論である。
生きることは他の何にもまして食と性に支えられているように思われるからである。

ところでいわゆる五感なかで触覚がもっとも基底的と言われる。
視覚、聴覚等他の感覚がたんに「生きる」ためだけでなく「よく生きる」ためであるのに、触角は生きるために不可欠である。

その触角の感覚器官は何だろうか。固有の器官があるのか。
視覚には眼、聴覚には耳、嗅覚には鼻、味覚には舌という固有の器官がある。

アリストテレスは「触れる能力のための感覚器官は何であるのか。それは肉なのか。それともそうではなくてむしろ肉は中間の媒体であり、内部の何かなのか」と問いを発し、肉は器官ではなく「中間媒体」として捉えられた。

人は食べつつ食べられつつ生きている。
食べるために触れるとともに触れられねばならず、触れ合うこと抜きには交わることもかなわない。

人の肉が動物や微生物に食べられ、排泄されて土に帰り、その土から植物が芽生え、それを食べる生き物たちをまた人が食べて生きる。
自分の肉と自分ならざるものの肉が交わり、そこからそのどちらともなく異なる肉が生まれてくる。
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肉は物質ではない、精神でもなく、実態でもない。
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