視点の問題

19世紀の小説家バルザックは、
基本的に三人称で表現されているが、
ふと、そこから離れて読者に直接呼びかける口調で表現することがある。
唐突な感じも否めないが、これによって、
バルザックに対する親近感がわいたりするのは事実。
20世紀までの小説は、語り手が、
主人公と言わず登場人物すべての心の中に縦横に入り込み、
未来や過去に自由に行き来して、運命の綾を語り尽くすという小説も多かった。
これは、いわゆる「神の視点」などと表現され、
かえって不自然であり、現代人が,その手法を使って書いたとすれば、
異常というより、アナクロニスティックな感じが否めない。

20世紀以降の小説では、一人称か、三人称で書くのが通常となった。
中には、実験小説として、二人称で書かれた小説もある。
おそらく、世界で最初と思われるのが、
いわゆるヌーヴォーロマンの旗手とも言われたミシェル・ビュトールの
『心変わり(La Modification)』、1957年に発表されたもの。
「私」ないし「彼」と表現すべきところを「あなた」と表現している。
これは、読み手にしっくりそぐわなく、何とも異様に感じる表現。

これが、映画の手法となると、ちょっと違って三人称の視点が通常。
一人称、すなわち「私」の視点から作られた映画は、
何とも収まりが悪く奇異な感じがする。ゲームの映像は一人称。
そのせいか、最近作られたアクションムービーやホラー映画などに
このような一人称の視点で作られた映画があり,ファンを増やしている。

マルセル・プルーストが書いた『失われた時を求めて』は、
語り手が,三人称的表現をするが,一人称的に主人公の細かい心理描写をするという小説。
決して「神の視点」ではない。
有名なくだりは,プチットマドレーヌを紅茶に浸したとき,
幼い頃にしたこのような行為が,時空を飛び越えて蘇ってきた。
という表現で知られる小説。ベルクソンの影響を受けたとも言われる。
時あたかも、アインシュタインの相対性理論が出た頃。
「これは,自分が考えていたことと同じことだ」と言ったという逸話もある。
この小説,全7巻だが一文一文が込み入って長く,膨大な小説ということもできる。

プルーストは子供の頃、ぜんそくの持病があり,小説にも ひ弱な少年としてのイメージで
書かれているが,マラルメが教官をしていたリセ・コンドルセ(高校)を出て,
優秀な人材が集うグラン・デ・ゼコールの一つ「政治学院」を出て兵役にもついている。
これで「ひ弱?」という感じもする。
父親のプルーストは医者であり世界的な研究もしている人物。
Calendar
«  November 2015  »
S
M
T
W
T
F
S

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
 
 
 
 
 

search this blog.
recent comment
category
archives
links
others