人生っていうのは展覧会の絵のようなものだと思う

ロジカルシンキングを改めて読んで、また新しい発見があったので、書こうと思う。
一枚の絵は、何でできているのかって言ったら、大まかには、用紙と絵でできている。

この用紙は誰でも持っていて、そこにどんな絵を描くのかは、人それぞれ。
例えば、花の絵を描くのも良いし、空の絵を描くのだって良い、海の絵を描くのも自由だ。

自然の絵を描くのも良いし、人の絵を描くのも良い。

自然と人の絵を描くのも良いし、本当に人それぞれ、そのキャンパスにどんな絵を描こうが自由だ。
人生っていうのは、展覧会のようなものって言ったのは、ある個室があったとして、その個室には自分のお気に入りの絵を置くことができる。
でも、スペースに限りがあるから、どの絵を置くのか良く考えなくてはいけない。

何の部屋にするのか。
どういった目的の部屋にするのか、それは一人ひとり自分が好きなものを選べば良い。
っで、一枚の絵を描くには、お気に入りの紙とお気に入りの書くものを用意する。

一日、一日、線をひいていく。
一日に一本しか引けない。
だって、今日から100年後に一足飛びに行くことはできないから。
今日一日でできることなんて限られているから。
そんで、一人ひとり生きる時間が長かったり、短かったりする。

急いで絵を完成させようとすれば、その分寿命を削る訳だし、ゆっくり絵を描こうとすれば、その分ゆっくり寿命が使われる。

病気になったりしていても、こう考えることができる。
元々、ある絵だけを完成させるためにこの世に生まれてきたのなら、ちょっとで良いのかもしれない。それは、神様に聞いてほしい。
誰だって、生まれた瞬間に、死の宣告を受けているのだから。

今日一日は、ほんの小さな点でも、方向性を見失わず、その小さな点を付け足していけば、きっと自分のお気に入りの絵ができると思う。
そのためにも、一枚の絵として、考えるのが、理想だと思う。
今ここにいるから、次はこうしよう、ああしようと、上から見下ろせば、たった一つのその点が意味のあるものになるんだろうな。
この考え方は、おそらく、目標と目的の違いにも使えると思う。

目的は的っていうくらいだから、絵そのもの。
目標は標っていうくらいだから、線とか形とか色とかが合わさった絵を構成するもの。

点と点が線になるって表現で言えば、点は目標で、線は目的。

目標は具体的に。それは、一日一日やるべきこと。
一日一日やるべきことをしたら、一枚の絵ができあがる。
それが、目的とか夢って言葉で表現されると思う。

例えば、ルールを決めるとしよう。
自分はこうなりたい。
だから、この練習をする。

でも、やっていくとどうしてもつまずくこともある。
風邪をひいたり、体調が良くないときだってある。
けど、たった一日休んだからって、そうしたいって思っていたら、時間はどれだけかかるか分からないけど、今よりは、その欲しい結果に近づける。
うまくいっているときは、いつも以上に進めるのかもしれないけど、立ち止まるときだって人間なんだからあって当然なんだと思う。

どこまで表現できるのか分からないけど、こうしたいって思うのなら、きっと叶うのかもしれない。
でも、そんなことは誰にも分からないし、結局やってみるしか答えは出ない。間違っているかどうかなんて、終わってから分かることなんだろうな。

さて、昨日とは違う自分になろう。
できないままなんて嫌だから。

春眠暁不覚

春眠暁不覚
処々聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少

孟浩然の詩ですね。
まことに春の眠さのけだるさ、気持ちよさを書いています。

我が家の庭にも、啼鳥、うぐいすが来て啼いています。まことに春爛漫、まだ谷渡りなんていう啼き方ではないけど、気持ちよさに庭にでて、掃除などもしてみたりします。

春眠暁を覚えず、気持ちよく寝ていられるのはまこちに幸せ、
この気持ちよさに気がついたとき、自分の不眠が気にならなくなっていました。寝つきが悪い、夜の闇の中であれやこれやと考えると眠れなくなる。本を引っ張り出してみれば、よけい目がさえる、ヒルテーの「眠れぬ夜のために」などを出せば、もっと眠れなくなる、ようやく寝付けば夜半目覚める、
眠らなきゃならないという脅迫観念に支配されてしまうのですね。そして眠らないと明日にひびくとか、

明日に響けば、あした眠ればいい、本を真夜中ひっぱりだそうにも目が悪くなって、電気の下のましてや布団の中での読書にはたえられなくなってしまった。

さて気がつけば春、まどろんだ布団の中には鶯の声が届く、こんな幸せがある。眠れなければおきてりゃいいこと、今日眠れなければ明日、さらに明後日には眠られるかもしれない。
背負っているから眠れないということをくよくよするんですね。生きていりゃ眠れないことはあるのだ、という風に気楽に思えば、なんということもない。

そんなふうに達観したいのだけれど、実際は夜中愚にもつかないことをくよくよ思うこともある。まだそんな風に思うのは若いんだと思うことにしよう。