踏切待ち

雲一つない真っ青な空の昼下がり。銀行のATMでバイト代の入金を確認してきた帰り、俺は自転車でコンビニの手前の坂を下って、私鉄の踏切へ向かっていた。
――カン カン カン
ちょうど電車が向かってくるところ。ブレーキを握りしめて、スピードを殺している目の前で、遮断機が下りきった。

踏切の手前、坂の脇には古い立派な桜の木がある。
春には、ピンク色の花びらをあたりに舞い踊らせ、幻想的な空間を生み出すその木も、今は濃い緑色の葉がいくえにも重なり、踏切で足を止めた俺にやさしい木陰を提供してくれている。
でも、その木陰に吹き込む風はなまぬるく、まったく涼しさなんて感じさせてくれない。
「ふぅ~」
息を吐き出し、汗でべとついた前髪を吹き上げる。
ふと視線を感じた。そちらを見ると、日傘を差した人が俺の隣で踏切が開くのを待っていた。
ついさっきまで、その白い日傘の陰から俺のことを見ていたのだろうか、傘がわずかに揺れていて。眺めていると、また、傘が動く。
視線が合う。
「あっ・・・・・・」
慌てて傘の陰に眼が隠れた。俺が見ていたことに気が付いたらしい。

「えっと、もしかして、森?」
日傘がビクンと震えた。
やがて、あきらめたのか、自分から傘を閉じて、俺の方を見上げてくる。
「久しぶり」
「ああ、久しぶり」
同クラスの森。いつも制服のブレザー姿で、活発な明るい声と輝くような笑顔を周囲に振りまいてばかりいる印象だというのに、今日は袖のない薄い水色のワンピースを着て、ずい分落ち着いた雰囲気。おしとやかとでもいうか。日傘のせいか?
「なんか、なんかだな・・・・・・」
「ん? なに?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
「ああ・・・・・・」
言葉を探して、結局、うまく言葉にできなくて。
結局、そのまま二人並んで、電車が来るのを待っていた。

何度思い出して

結局、あの後、幸子は作業場にしばらくいて、口数も少なに作業に没頭する俺の様子を眺めるだけだった。
高校を卒業して、俺は陶工の親父のもとに弟子入りし、そのまま地元にとどまり、一昨年引退した親父の跡を引き継ぐ形で、今もこの工房を切り盛りしている。
一方、幸子は、東京のデザイン系の香港短租公寓専門学校に進み、そのまま東京に残ってデザイナーの仕事をしていると聞いている。
あいつ、去年はなにをしに来たのだろうか?
俺の顔を見にきたのは確かだろう。でも、なんのために?

東京での仕事や生活、うまくいっていないのだろうか? すこし、やせていただろうか?
垢抜けて、綺麗にはなっていたが、眼ばかり光っていて、じっと俺のことを眺めていた。
でも、帰りがけには、どこかホッとしたような、吹っ切れたような顔をしていた気がする。
そばで俺のことを眺めながら、なにを考えていたのだろうか?
あの最後のデートのとき、俺が心に正直になって『行くな』と止めていたら。
デザイナーになるのが、あいつの子供のころからの夢だと知っていてさえも、それでもわがままに振る舞えていたら。
今さら考えても仕方がないことだ。とっく認股權證に過ぎてしまったこと。選んでしまって、もう戻ることができない。もしもなんて意味もない。
そんなことを今まで何回考えてきただろうか。

こうやって、ろくろを回して、茶碗や湯呑みを作りながら、何度思い出していただろうか。繰り返し、繰り返し。延々と。そして、そのたびに、胸が締め付けられるように苦しくなって、切なくなって。
だけど、去年のあのときからのそれは、そうじゃなくなっていた。だいぶ前から、そうでなくなっていたことに気が付いた。
もしもなんて、まったく思いもしなかった。ただ、そんなこともあったなとどこか他人事のように思っていた。
ろくろを回す俺のすぐそばにかつて大事に思っていた人がいて、その人が俺のことを眺めていて、同じ空気を吸い、同じ時間を過ごして。でも、結局、ただそれだけだった。
なにも起こらなかった。なにも変わらなかった。

作業場の外を郵便の赤いバイクが通り過ぎていく。
今日の郵便物を届けにきたのだろう。
朝からぶっ続けで作業していたトシも、疲労の瑞士旅遊色が顔ににじみ出ている。
「そろそろ、休憩にするか」
「はい、親方」
トシは嬉々とした様子で、作業場の外へ出ていった。庭の水道で顔でも洗いにいったのだろう。
俺も作業スペースを離れ、隅で脚を伸ばす。ホッと息を吐く。久々に血流がよくなったためか気持ちいい。

よけいに溜まる膿

ブログで愚痴れなくなった。
メールに、相手や表現を変えて、何通もしたためた。
そのメールも誰にも一通も送信していない。

今朝は、しっかり、どっぷり、溜ま國際化妝證書課程った膿を吐き出すメールを書いた。
何度も推敲を重ねた。
でも、送信先は空白。

自分に、向けてのメールだろう。
もはや、メールでもブログでも、なんでもいい。
広告チラシの裏でも、磁石式筆談ボードでも、砂に書いた文字でも、なんでもいい。

何年も何年も積み重なった想いが、どっと堰出るのを、流出ボリュームが大きすぎて、防ぐには力量オーバー。

でも、なぜか、自分の抗衰老方法中に留める。
そのほうが、自分には適している。
誰かに聞いてもらうことを目的に吐き出すのは、その時だけすっきりしても、長期的スパンで考えると、気持ちよくない。

なので、誰の目にも触れず吐き出している。
これがまた意外に、いい調子だったりする。
暗いキャラも、安定すると、ダークライトになるような予感。
やっぱり、根っから楽天家かも?

究極のシャウトは、相手に向かって直接吐き出してしまうかも知れない。
しかし、自分が相手を深く傷付け新西蘭旅遊たことを後悔するだろう。
死ぬまで、後悔するのか、知らせず、死ぬまで、ウジウジして根に持つのか。

永遠の三角関係

昨日のベルリンは、最高の秋晴れに恵まれ…と始まる運動会の開会式の挨拶にもってこいの天気だった。
帰りに広い道で渋滞に巻き込まれたが工商管理 IT、西日にこうこうと照らされる家並みを見て、私は心底癒された。
窓の向こうには、たくさんの可愛い家猫たちがとろけそうになりながら目を細めているはずだからである。  

樹々はまもなく葉を落す。
葉が水を吸わなくなれば幹は凍りつかない。
街路樹の葉が落ちれば、気温は下がっても低くなった太陽が枝の間から部屋に深く長く射し込むという、なかなかよくできているしくみだ。
春になり夏になればまた木陰もできよう。

天の神さん、よう考えはった。
まどろみながら、ちょっとかしこ機票い猫ならそう思うだろう。
 
あ、でも、そういえば窓を作ったのは私ら人間だった! 
屋根と壁と入口の戸からなる家が建てられるようになってからずいぶん後になって生み出されたのだ。
なんだか可笑しいが、窓ってのは建築において必要不可欠な要素ではなかった。権力者や寺院が巨大な中の機票暗い建物に光を入れるため、また外観の装飾の意も兼ねて取り入れたのが始まりだった(現代のマンションやビルの窓も実はその名残りってことになる)。
 
よく考えたら、神さんと人間で猫に至れり尽くせりといったところだ。。。(笑)

名主の裔

『名主の裔』は江戸名所図会を著した斎藤月岑、本名・斎藤市左衛門がモデルの時代小説。

斎藤家は代々続く町名主、それも格がBBA 讀咩高い草創(くさわけ)名主の家柄で市左衛門は九代目。

市左衛門が生きたのは、ちょうど幕末から明治の代に移り変わろうとする時代にあたり、町内におこる様々な問題への対処だけでなく、突如浦賀に来航した異国船への対応やら異人相手の女郎の世話にまで駆り出される始末。

幕末の動乱に加え、安政の大地震が起きたりコロリが流行したりと、時代の大きなうねりの中、市左衛門は日々名主としての役割をこなし、そして月岑として祖父・父と引き継がれて作成してきた「江戸名所図会」を刊行し、江戸の社会風俗を記録した「武江年表」を淡々と書き進めていきます。

明治の代に入り「江戸名所図会」は古臭い産物として本屋の片隅で埃をかぶり、名主の職もだんだん縮小されていく。

ですが時代はどう変わろうとも、市左衛門は名主としての矜持と月岑としての誇りを胸に、前を見て着実に生きていく。

「わたしが仕えているのは、新しい創業發展お上でもなんでもない、町方の人々なのだ。」

そんな市左衛門のつぶやきが心に残る作品です。

『男の軌跡』は「江戸繁盛記」を著した寺門静軒、本名・寺門弥五左衛門がモデルの時代小説。

弥五左衛門は浪人で、父が仕えた水戸藩への士官を望み、水戸まで赴いて直訴に出ますが、望みはかなわず。

武士であることに見切りをつけ、儒者・静軒として江戸で生きていくことを決意します。

ですが生来の反骨精神から一介の町儒者、浪人儒者であることに満足できず。

戯作「江戸繁盛記」を著し、思い切って出版してみると、これが版元の予想も裏切るほどの大ヒット。

静軒は一躍江戸の顔となり、金も名声も手に入れますが、時代は幕末に向かっており、衰退していく幕府相手ではケンカにもならず、空虚感を募らせていきます。

そんな中、静軒は、自分の胸底に潜んでいた武士の魂に気づいていくのでした。

「名主の裔」の斎藤月岑も、「男の軌跡」の寺門静軒も、今に残る確かな仕事を成し遂げた人物ですが、その存在自体は表に出ることも少なくひっそりとしています。

そんな人間像に光を当てる鋁門窗姿勢が杉本氏らしい。

どちらの作品も史料をきちんと読みこなし、時代考証がしっかりしている印象。

物語としても、当時の世相を知る資料としても楽しめます。

作者初期の作品で人間像を十分に描き切れておらず、小説として稚拙な部分もありますが、全体的に読み応えのある時代小説。

冷や汗

今日は仕事をしようと決めていて、家事は布団干しだけしかしていません。
夜になり、晩ごはんの用意をしながら堺正章さんが司会をしているカラオケの番組をつけていました。
阿佐ヶ谷姉妹の渡辺江里子さんの護髮水歌声、めっちゃ良かったです。
もう一度聞きたいと思ったら決勝まで残ってくれはったので、もう一度聞けましたけど、残念ながら3位でした。
予選で歌われた方が良かったみたい。
あのやわらかい声、好きになりました。

さて、昨夜の話。
晩ごはんを食べ終わってから、お腹が痛いな~と思っていたら、とんでもなく痛くなり、トイレに走ったのですが、最初冷や汗しか出てきませんでした

私の場合、冷えたり、ガスがたまるとお腹が痛くなるのですが、冷えた場合は下痢Pで、ガスの場合はガスが出たら治るので、トイレにさえ行けばと簡単に考えていたのですが・・・。
トイレに座っていたら、胸がムカムカしてくるし、ガスも便もまったく出てくれないし、額や首筋に冷や汗が流れるばかり。出るのは冷や汗だけで大量に吹き出してきます。

その間、お腹はますます痛いし、ますます気持ち悪くなってくるし、食べたものが悪かったんやろか~。どっちでもええから出るもん出て~と泣きたいような気分でした。

そして、ついに出始めました。
最終的にはドッカーンと防脫髮いうほどの量でした・・・。

びろうな話で失礼いたしました

以前にもこんなことは経験していますが、それは思い出せないくらい昔の話で、久々の腹痛と大量冷や汗でした。

何にせよ、よくなさそうなものが排出されたのは間違いなく、これは目出度いことだとポジティブシンキングでトイレを後にしました。


今日はいつになくお腹もスレンダーで、いつもこうだといいのになって感じの腹具合です

そういうことがあったので、昨夜は早い目に寝床に入ったのですが、夜中の3時に凛太郎に起こされました。
最初暗闇の中で、凛太郎を手探りで探しましたが、ベッドの中にも上にもいません。
枕元の灯りをつけると、凛太郎はベッドの下で「起きれ」と言っておりました。

トイレかと思って、ガバッと起きて、外に出すべく玄関に向かいましたが、どうも水を飲みに行って帰ってきたけれど、ベッドに上がれんということのようでした。
凛太郎用の3段階段をベッドにつけてあるのですが、階段の上に掛け布団が盛り上がっていたりすると登れないのです。
これは私が寝ていなくても、ベットメーキングをキレイにしてあると「寝床に上がれん!」と鳴いて呼びます。

小さな凛太郎にはどんな見え方、感じ方をしているのでしょうね。
掛け布団をめくっておくと勝手荔枝角數學補習班
に登れるのに。不思議です。

夜中の3時に起こされたのは2日続けてですが、今朝はハクが起こしに来なかったので8時前に自然に目が覚めるまで寝ることができました。
いつになく寝起きは爽やかでした。

バラと時間

ちょっと有名な庭園に、バラの花を見に行った。 午後5時半を過ぎると、辺りは驚くほど真っ暗で、冷たい風が首筋をかすめ、様々な種類のバラは白熱灯に照らされて静か亞健康に揺れていた。

僕はバラの花が取りたてて好きなわけではない。

僕が生まれる前に、遠くの国で交配されて生まれた多くのバラが、その品種名と生産者の名が書かれたプレートと共に、行儀良く並んでいた。
花弁に鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ老齢の女性グループがいた。 ”beautiful”を連発する外国人夫婦がいた。
僕は、修学旅行でお寺を訪れたときのような気持ちになって、バラの間をそぞろ歩いた。 一巡りして階段を上ったとこ亞健康ろから後ろを振り返ると、夕闇の中、たくさんのバラがライトに照らされて少し霞んでいるのが見えた。

しばしば多くのものは、遠くから見たほうが、近くで観察したときよりも綺麗に見えたりする。
そして、と僕は思う。 この光景を5年たってふと思い出したら、いま実際僕が見ている光景よりも、綺麗に僕の海怡半島數學補習班脳裏に浮かび上がるのだろう。 他の多くの思い出と同じように。

我らの船

舟は、ぐんぐんと対岸にちかづいた。山並みは、山頂のほうから黄ばみ、早くも紅葉が始まっている。が、ぐいと突き出した岬は旺盛な緑が、海になだれ落ちんばかりにはびこり膨らんでいる。端からDerma 21脫毛滑るように湾にはいる。

入り組んだ大きな湾内には、小さな岬と入浜がいくつもあった。大きな舟を上げるだけの奥行きもないそれらをやり過ごし、奥まった壺の底のような浜にたどりついた。まだ、夕方までには間がある時刻だ。葦の張り出す水際には、海鳥たちがやかましく鳴きかわし、彼らの舟を跳んでよけてはすぐに着水する。遠浅の浜に、大きな川が流れ込んでいる。

その川口、丈高い葦の茂みに分け入るようにして、大陸の、舳先の反りあがった大きな船がもやってある。帆柱は折れているが、形は美しく保たれており、白く塗られたふなべりに赤く大きく描かれた文様は、鮮やかに輝いていた。巨大な鳥が翼をたたんで休んでいるようにも見える。
老人が手を振り上げて叫んだ。
「あの舟ぞ。あれこそ我らの舟ぞ。」
若い女も興奮してイワクスたちに頷いた。
「接ぎ船だ。すごいな。きれいに浮いている。」
長さ十尋もある大きな接ぎ船だ。

なんという幸先のよさよ、と、漕ぎ寄せDerma 21脫毛る。一番乗りとばかり、トギホが身軽く船べりを飛び越えた。
「うわっ、なんだこれは?」
声よりはやく、この浜の住人らしい男たちがばらばら走って来た。
「何者だ。何をしている?」
「親父、水だ。船底に魚が泳いでいる。」
「これは我らの舟ぞ。返してもらおう。」
三つの言葉がほぼ同時に吐き出された。
男たちの後ろから、大きな男がのしのしと歩いて来る。この浜の長らしい、一人だけ袖のある上着を羽織っている。
「わしは、これを預かっておる。勝手に手を触れてはならぬ。」
祖のムラムラの言葉だ。
イワクスは今までのいきさつを手短に話した。
「これに乗って来たやつらは、目印の杭を壊し、仕掛けの網をずたずたに破った。やつらがこの浜をもとどおりにするまで、これを預かっているのだ。」
「しかし、驚いたな。舟底に穴が開いても、きれいに形を保っている。こんなのは初めてみたぞ。素晴らしく丈夫な接ぎ船だ。」
トギホはしきりに感心している。
「川でも海でも、巨大な接ぎ船が目のDerma 21脫毛前でバラバラになるのを、何度も見て来たからなあ。本当は小さな刳り舟の何倍も丈夫でなければならない筈だが、大抵はひとたびどこかが狂うとあっというまにばらばらになってしまう。」
イワクスは舟底をしさいに見ようとのぞきこむ。浜の長が、手を広げて止めた。

王毅さん、一体全体

北京第二語言学院卒業のハンサム政治家、中国外相の王毅氏が、2月17日、西沙諸島での中国のミサイル配備について、西側のでっち上げと語り、その後、軍事施設建設は「国際法が認める主権国家の自衛権に完全に合致している」と強調した。

まずは、知らされていないよ、でも、よくわらかないが、中国政府の流れからすればこういうとだとうまくまとめ上げたというところであろう。

さて、その王毅さん、ドイツを訪問している。その折、記者団に、韓国でのTHAADの配備をめぐって質問され、秦末漢初の歴史事例を持ち出した。

曰く、項荘が剣舞をした狙いは沛公の刺殺にあった。
米国は何を狙っているのか。
朝鮮半島の核問題を利用して、
中国の正当な権益を侵害するいかなる国の行為にも断固反対すると。

項羽のいとこ項荘は、鴻門の会で、沛公こと劉邦(のちの漢王朝高祖)を前に剣舞を披露し、乗じて殺そうと企図した。それを項羽の叔父の項伯が同じように舞い、沛公暗殺をさせなかったという故事である。

王毅氏は、危機に瀕する沛公を中国になぞらえた。
項荘はTHAADミサイル防衛網を導入し、中国を陥れようとする韓国にたとえている。
では、この故事で、アメリカは誰か。
それは、項羽から「亜父」と呼ばれ、項羽の将来の禍根を断とうと決意し、項荘を舞わせる「范増」その人である。

残念ながら、中国を守ろうとする項伯は今の所、その役を担う国はない。

この鴻門の会を契機に、命拾いした沛公は力をつけ、反対に項羽は力を削がれ、ついには四面楚歌の状況に置かれ、ついに、烏江のほとりで命を落とすことになる。

王毅さんは、THAADの韓国配備がなされなければ、米国はますます東アジアから力を削がれ、東シナ海から駆逐されると考えているに違いない。

剣舞を派手にやってのける項荘こと韓国は、これまで積極的に行ったことのない開城の工業団地からの引き上げを実施した。北の同胞に援助をくりかえし、その度に煮え湯を飲まされてきた韓国は、もはや手ぬるい手段では北朝鮮を黙らさせることはできない。徹底した締め付けで対応すると決断したのだ。

21世紀の鴻門の会の決着は、果たしていかなる決着を見るのか。
よもや、項荘こと韓国は途中で舞をやめることなどないだろうが、心配だ。
沛公こと中国を守るであろう項伯は果たして現れるのだろうか。

腐葉土になった彼

初夏の木漏れ日が降り注ぐ森林を独り、当てもなく巡っていると一人の男性に出逢った。

背の低いわたしを上から見下ろす形で彼は微笑む。――あの時と同じ。光を通してしまうほどの雪纖瘦透き通った白い肌。手足は細くて長いのにも関わらず、彼から溢れ出す包み込むような温もりは、わたしにとてつもない安心感を与える。

そう、前に出逢った時も同じように感じたはず。それによってわたしは一瞬で恋に落ちたのだ。

ただ、何かが違う。一年前のこの場所で出逢った彼とは。


彼は言った。

「君は独りかい?」

わたしは小さく頷く。

「君みたいな婉然な女性が訪れる場所ではないから、すぐに戻りなさい。って言いたいところだけど、僕と君がここで出逢ったのは何かの縁。君にひとつお願いがあるんだけど、いいかな?」

微笑みながら言う彼の言葉は、神による何らかのお告げのように聞こえてきた。すぐにでもひざまずき、両手の彩盒指を組ませながら天を仰ごうとまでする勢いだった。

「お願いは単純、一年後もう一度この場所に来てくれればいい」

「一年後?」

彼は無言で頷く。一瞬わたしは返答を躊躇った。しかし彼の天使のような微笑みに、わたしは無意識に頷いていた。


彼のお願いの真意が何なのか。それをわたしはすぐに理解できた。わたしも彼と同じ想いであったから。

そのお願い通りにわたしは一年後、同じこの場所に戻ってきた、と言えるのだろうか。

疑念の余地を残す原因は、彼の容姿の変貌があまりにも大きかったことによるものだった。この場所が、一年前と同じ場所なのかさえ不透明であり、何か目印になるものを残しておけば良かったと今更後悔しても遅い。ただ、戻ってきたとしても、何もできない無力さに心が痛んだ。

好きになった人の顔を忘れるなんて有り得ない。だけど、好きになった人の骨格までも記憶しておくことは難しい。太い木の岩盤浴價錢枝から垂れ下がっていた彼の軆は、しなとの風に吹かれて今は枯れた落ち葉のようになっていた。

一年前のあの日、彼はわたしが頷くと同時に首を吊った。驚嘆することもなく、彼の垂れ下がった四体を見つめながらわたしが最初にとった行動は、その場から離れることだった。

遠くへ、できるだけ遠くへと、歩みを進めて行く。彼の真意に背くことになるかもしれない、そんな想いがわたしの瞳を涙で包み込む。適当な場所でわたしは立ち止まり、そしてわたしは彼と同じように首を吊ったのだった。
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