日常(精神病棟)

――病人の朝は早い。
理由は不眠で寝られなかったり、そもそも就寝が21時という、
異様な早さであることなどが挙げられるが。
大抵の人間は4時か5時には起床を済ませてコーヒーブレイクなどしている。
まぁ、とにかく早いのだ。

そして、その中でも喫煙組はというと、毎朝6時前には閉鎖された扉の前に集合し、
バイオハザードのゾンビさながら廊下を徘徊している。
そして時間が来てゲートが開放されるやいなや、今度は出走馬の如き勢いで、
ダバダバと駆け出していくという、珍妙な光景が見られる。

これが病院の朝――精神病棟の日常である。

「開けろぉ!扉を開けろぉ!」
「タバコを吸わせろぉ!」
「うどんげちゃん、チュッチュ」

ドンドン!と喫煙所であるオンボロのプレハブ小屋の戸が叩かれる。

「はいはい!今開けますので、皆さん下がって下さーい!」

やって来た警備員がプレハブの扉を開けると各馬一斉に中に雪崩れ込む。

臭ァ!!!!

まずそれが最初の感想。
前日の煙がいい感じに残っているので、とにかく臭い。
窓を開けて換気をし、それからようやくタバコタイムである。

「スパー……」
「うまー……」

恍惚の表情でタバコを吸う。中にはうんこ座りを決め込むものまでいる。
そしてタバコを吸っている間は皆静かだ。
昨今タバコはその害毒性ばかりが喧伝されているが、
精神に安寧をもたらす嗜好品としての価値を忘れてはならないと思うのだが、どうだろう?

1本吸い終わると雑談タイムだ。
タバコのもたらすもう一つの効果に「タバコミュニケーション」というものがある。
仲の良い同士で昨晩の体調や、今日の治療予定の話。
他にも天気や今日の運勢。ニュースについてなどを語り合う。
内容は他愛もないが、人は話せば話すほど、親陸が深まる生き物だ。
そして同調行動をしている者同士なら尚更である。
重要な会議の内容が喫煙所ですでに決まっていた、なんて笑い話があるが、
これが案外誇張でも何でもなかったりする。
やはりタバコは、酒と同じく、一つのコミュニケーションツールとして
機能しうると思うのだがどうだろう?
あっ、はい。どうでもいいっすね。

一服が終わって、病棟に帰れば、おおよそちょうど六時半。
まだ朝食までは時間がある。
そこで暇つぶしに行うのが、体重測定。

あの貧相な病院食を食べ続け、どこまで痩せているかを誇り合う一種の遊びだ。
ちなみに痩せない奴は、間食をしているのが丸分かりになるので、格好のイジラレ役となる。
まぁ便秘の線もあるが、そこはあえて追求するまい。

そして7時にラヂオ体操の時間が始まるが、みんな目が死んでるので、
参加する奴は極端に少なかったり。当然私も参加していない。
だってダリィもん。

理想的ですが、ぷー太郎はダメ。

僕はいつも日記の中で書いている。
幸せは金では計れないと思う。
むしろ、金、金、金と金に縛られていると、金を手に入れば入れるほど反比例的に幸せから遠のく事がおうおうにしてある。
幸せになるには余計なしがらみやこだわりやプライドや見栄や世間体やなんやらかんやらを捨てちまうことが近道だと思う。
な~んにもありません~。裸んぼで~す。ってのが究極の幸せのような気がしてならない。

だから、彼の生き方は僕の理想だ。


金にしがみついて働き蜂のように自分を殺して生きるのも良いだろう。
(↑僕達だって数年前はこんな生活だったんだ)

働くだけで良いのなら働いて働いて死ねばいい。
立派な家の35年ローンを払い続けて、カスカスの家族を維持することで一生を終えればいい。
(↑例えばの話だからね。怒らないでね)

「俺だって好きで働いているんじゃない。守るべき物の為に仕方ないんだ!」
というのなら文句言わず働けばいい。
それが嫌なら文句言わず辞めればいい。

人それぞれの価値観や生き方があるのだから、好きなように生きればいい。
誰だって好きなように生きれるのに、好きなように生きたくないのなら、好きなように生きなきゃいい。

ただ、グダグダと文句ばかり言って、違う価値観の人を批難するだけの人間にはなりたくはないものだ。
その批難は負け惜しみにしか聞こえてこない。


もう一度言う。
僕は彼の生き方は理想。

ただし。全面賛成ではない。
年収100万って、どこから出ているのだろう?

やっぱり、自分の最低限の暮らしは自分で稼がなくてはならない。
それは最低限の社会参加だ。
それが最低限の義務であり、権利の主張だ。

最低限の労働をしていれば、どんな生き方だって良いと思う。
僕は、「フリーター」と言うの職業に憧れる。
もっとも、今も、いつ辞めても何の問題もないとう気持ちで仕事をできているというのはフリーターに近い。
いつでも辞めてやる!という気持ちは強い。
(↑悪い意味で取らないでね。ちゃんと責任持ってやることはやります。)
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時代はどんどんと変化している。
何があっても不思議じゃない時代。
終身雇用や年功序列なんて昔、昔の昔話。
資本主義はもう限界。
古い価値観にしがみついていては幸せにはなれない。

ホントは人生はとてつもなく自由
ホントは人生は無限大の可能性が広がっている。
ホントは人生は楽しい。

誰の真似でもない自分の幸せを考えよう。

さあ、これからどう生きるかな~。
そんなことを考えるとワクワクする。
ワクワクするのならそれがどんな生き方であろうと
多分、今の自分に問題はないのだ。

思い返せば数年前の働くだけの僕は、イライラグズグズとしていた。

年収は半分になったけど良い方向に向かっている気がする。

くだらなすぎる・・・

将来子供を不幸にする?そんなの人それぞれ価値観違うんだから、全てが
当て嵌まる訳じゃないじゃない。それに何でも親のせいにして人生を生き
てれば自分が傷付かなくて楽だよねwww

まぁその先に進歩が無いけど。親の最大の勤めは子供を自立させる事だけ
だと思う。親が居なくなった時に子供が苦労しないように、子供が孤独に
ならないようにと・・・。
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でも過干渉と育児放棄なら過干渉の方が辛いかもしれないと思う。育児放
棄されたとしても周囲の人が手本になるような生き方をしていれば見習う
事が出来るかもしれないけど過干渉は子供の自立の芽を阻むから。子供自
身が親からの呪縛(私は精神的な親殺しだと思ってるが)から解放されな
い限り本当の自由はない。

あとは子供を産む事は親のエゴを満たすだけって事を頭に入れておけば良
いんじゃないかな?誰も産んでくれなんて頼んでないし、親なんか選べな
いんだから、せめて子供の人生に陰を落とすような親にだけはなりたくな
いと思う。
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育児なんて育自なんだから「他人様に最低限の迷惑しかかけないように心
がける」とブレなければ育て方も人それぞれ・・・。それに生まれつき問
題のある人なんかいませんってのも疑問。サイコとかって資質だと思うか
ら。

何故台風にはコロッケなのか

何故台風にコロッケなのか?あまり知られていないがこれには理由があって

「コロッケのようにカラリと(雨が)あがるように」

と祈願して台風の前日に食したのが始まりらしい。

それならメンチカツでもトンカツでも同じだろうが!・・・・と思う方もいるだろう。

だが年末に食べるのは年越し「蕎麦」であって、同じく細く長い「そうめん」でもコシの強い「うどん」でもない。年越しは蕎麦で引っ越しも蕎麦で年が明けたらおせちで次は雑煮か焼き餅になる。餅は夏には食べない。風習というしか無いのだ。

まあ風習というのはそうやって伝統や文化に変わっていくのだと思う。

と、ここまでまことしやかに書いておけば来年あたりはカラリと雨があがるようにコロッケを食べましょうというキャッチコピーが当たり前になるかもしれない。

しかしまあ、正社員でも遅刻なんかできなかったぜ?