日米・未解決事件の記憶
人間により植林されたことが手に取るようにうかがえる、均等に配置された木々が生い茂る雑木林。その斜面に遺棄されていた有希さん。事件当時、最寄りの警察署で現場を聞き、周囲にはコンビニと斎場しかないような細い道路を進み、すでにテレビの中継車両などが路注しているスペースに車をとめる。『不法投棄禁止!』のプレートが、林と道を仕切るフェンスにいくつも貼られ、人目を避けたい目的でなければ足を踏み入れないだろう細い道を歩んだ。その先に現場があった。
この事件発生当時、地方新聞社で司法担当記者だった私は一報を本社から受け、水戸市から北に車を疾走させて現場に向かった。その後、連日のように警察署に設置された捜査本部で捜査本部長らによる記者会見に臨んだ。結果、有力が手掛かりがないまま、連日の捜査本部の会見も終了となり、月日と年月が過ぎていった。幼い少女の死を悼み、地元の方々がジュースやお菓子、おもちゃ、人形などを添えるテーブルを設置し冥福を願っていた。
あれから9年。私はすでに地方紙記者の仕事を離れた。同時に紙媒体の衰退を象徴するように勤務していた新聞社も倒産し新聞も廃刊となってしまった。大きく時代が変化し、同僚たちも全く違う人生を歩んでいった。私は未婚だが当時結婚したばかりの同僚には、すでに有希ちゃんの年齢を越えるお子さんがいる。しかし由希ちゃんのご家族、親類の方々には9年前のまま時間が止まっているのは確かだろう。毎年、年の瀬にこの未解決事件が報道されるごとに年月の流れる速さを実感する。
そして今日目にした、唐突にもたらされた別件事件で逮捕・起訴された男の事件に関与をほのめかす供述。しかし供述にはあいまいな部分も多く、地域に土地勘があり、車を所有していることなど大雑把な点しか関連性が見当たらないという。本当につながりがあるのか?とすでに事件に全くかかわる立場ではないが考えてしまう。真相解明に通じる希望をご家族にいたずらに抱かせ、混乱させ、巷の興味と関心をひきおこすだけのような感覚もうかがえます(事件を風化させないきっかけとしてはいいのでしょうが…)
子供たちの命が奪われた未解決事件。そして突然容疑者として自ら名乗り出た男の存在。これらから、1996年に日本でも連日大々的に報道されていた、米国・コロラド州の富豪の長女であり、美少女コンテストの女王として知られたジョンベネ・ラムジーちゃん(当時6歳)の殺害事件を思い起こすのは私だけではないでしょう(しかしオウム真理教事件でその後報道は全くされなくなってしまう)。
1996年12月26日に自宅地下からジョンベネちゃんの遺体が発見される。口をガムテープで塞がれ、首に紐で縛った痕と頭部に打撲傷があり、手のひらにはハートマークが書かれ、性的暴行も加えられていた。容疑者は逮捕されておらず現在も未解決のまま。
ジョンベネちゃんの遺体で発見される前、母親が自宅階段に犯人が書いたと思われる脅迫状には“金を用意しろ”と身代金11万8000ドルの額が記されていた。これは父親ジョンがその時期受けとったボーナスの額と全く同額で、ラムジー家に精通している者の可能性があること、また脅迫状の筆跡が母親のものに似ていることなどから、家族や親類らに疑惑の目が向けられていました。しかし遺体から検出されたDNAは、当時自宅にいた誰のものとも一致しない。事件は未解決のまま年月は過ぎ、2006年6月に母親は卵巣癌のため死去してしまった。
未解決事件というだけでなく、今回の有希ちゃんとの事件との共通性を感じるのは、ジョンベネちゃんの事件から10年が経過した2006年にタイ・バンコクで元教師の米国人男性が容疑者として逮捕されたことにあります。この元教師の男性も自ら名乗り出て、事件発生当時、ジョンベネちゃんと一緒にいたことなどを語ったものの、結局DNA鑑定結果は不一致で釈放され、事件は振り出しに戻ってしまうことに…。
家族ら関係者の解決への希望が振り出しに戻る辛さ…。今回の有希ちゃんの事件についても、警察は容疑者として逮捕できるものがそろってから公表してもらいたいと願うばかりです。そしてやっぱり気になるのは未解決の裏側には何があるのか?ジョンベネちゃんの父親はアメリカでも上位1%に入るビジネス界の成功者とされます。もし警察がこの家族の影響力から捜査が行き詰っているとしたら…。そして有希ちゃんの事件もなんらかの社会や力の圧力が加わり未解決のままになっているとしたら…。本当に私たちには見えない深い底なしの闇があるように感じられてしまうのです。
一刻も早い解決を願います。
この事件発生当時、地方新聞社で司法担当記者だった私は一報を本社から受け、水戸市から北に車を疾走させて現場に向かった。その後、連日のように警察署に設置された捜査本部で捜査本部長らによる記者会見に臨んだ。結果、有力が手掛かりがないまま、連日の捜査本部の会見も終了となり、月日と年月が過ぎていった。幼い少女の死を悼み、地元の方々がジュースやお菓子、おもちゃ、人形などを添えるテーブルを設置し冥福を願っていた。
あれから9年。私はすでに地方紙記者の仕事を離れた。同時に紙媒体の衰退を象徴するように勤務していた新聞社も倒産し新聞も廃刊となってしまった。大きく時代が変化し、同僚たちも全く違う人生を歩んでいった。私は未婚だが当時結婚したばかりの同僚には、すでに有希ちゃんの年齢を越えるお子さんがいる。しかし由希ちゃんのご家族、親類の方々には9年前のまま時間が止まっているのは確かだろう。毎年、年の瀬にこの未解決事件が報道されるごとに年月の流れる速さを実感する。
そして今日目にした、唐突にもたらされた別件事件で逮捕・起訴された男の事件に関与をほのめかす供述。しかし供述にはあいまいな部分も多く、地域に土地勘があり、車を所有していることなど大雑把な点しか関連性が見当たらないという。本当につながりがあるのか?とすでに事件に全くかかわる立場ではないが考えてしまう。真相解明に通じる希望をご家族にいたずらに抱かせ、混乱させ、巷の興味と関心をひきおこすだけのような感覚もうかがえます(事件を風化させないきっかけとしてはいいのでしょうが…)
子供たちの命が奪われた未解決事件。そして突然容疑者として自ら名乗り出た男の存在。これらから、1996年に日本でも連日大々的に報道されていた、米国・コロラド州の富豪の長女であり、美少女コンテストの女王として知られたジョンベネ・ラムジーちゃん(当時6歳)の殺害事件を思い起こすのは私だけではないでしょう(しかしオウム真理教事件でその後報道は全くされなくなってしまう)。
1996年12月26日に自宅地下からジョンベネちゃんの遺体が発見される。口をガムテープで塞がれ、首に紐で縛った痕と頭部に打撲傷があり、手のひらにはハートマークが書かれ、性的暴行も加えられていた。容疑者は逮捕されておらず現在も未解決のまま。
ジョンベネちゃんの遺体で発見される前、母親が自宅階段に犯人が書いたと思われる脅迫状には“金を用意しろ”と身代金11万8000ドルの額が記されていた。これは父親ジョンがその時期受けとったボーナスの額と全く同額で、ラムジー家に精通している者の可能性があること、また脅迫状の筆跡が母親のものに似ていることなどから、家族や親類らに疑惑の目が向けられていました。しかし遺体から検出されたDNAは、当時自宅にいた誰のものとも一致しない。事件は未解決のまま年月は過ぎ、2006年6月に母親は卵巣癌のため死去してしまった。
未解決事件というだけでなく、今回の有希ちゃんとの事件との共通性を感じるのは、ジョンベネちゃんの事件から10年が経過した2006年にタイ・バンコクで元教師の米国人男性が容疑者として逮捕されたことにあります。この元教師の男性も自ら名乗り出て、事件発生当時、ジョンベネちゃんと一緒にいたことなどを語ったものの、結局DNA鑑定結果は不一致で釈放され、事件は振り出しに戻ってしまうことに…。
家族ら関係者の解決への希望が振り出しに戻る辛さ…。今回の有希ちゃんの事件についても、警察は容疑者として逮捕できるものがそろってから公表してもらいたいと願うばかりです。そしてやっぱり気になるのは未解決の裏側には何があるのか?ジョンベネちゃんの父親はアメリカでも上位1%に入るビジネス界の成功者とされます。もし警察がこの家族の影響力から捜査が行き詰っているとしたら…。そして有希ちゃんの事件もなんらかの社会や力の圧力が加わり未解決のままになっているとしたら…。本当に私たちには見えない深い底なしの闇があるように感じられてしまうのです。
一刻も早い解決を願います。
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- 2015-01-29 18:03:41