夢の桜並木

寝る前のいい話
「太平洋と日本海を桜でつなごう」

そんな夢を抱いた男がいました。

男の名前は佐藤良二。

名古屋と金沢を結ぶ日本最長のバス路線、旧国鉄バス名金急行線の車掌でした。

良二は、この路線の道路沿いに桜を植えていくことで、太平洋から日本海まで繋がる桜並木を作ろうとしたのです。

仕事場であるバスに桜の苗木を持ち込むことについて、上司や同僚はよい顔をしなかったと言います。

また、桜の木は虫がつくという理由で、沿線の住民からも嫌われました。

しかし、良二は桜を植え続けます。
給料、そして空いた時間のほとんどを桜につぎ込むため、生活費は妻が民宿を切り盛りして稼がなければなりませんでした。

良二が桜にこだわったのは理由があります。

1960年、ダム建設によって水没する運命にあった2本の桜の木が、住民たちの活動により、別の場所に移植されるという出来事がありました。

その移植の記念撮影を任されていた良二は、そこで喜ぶ人々の顔を見て感動を覚え、人を幸せな気持ちにする桜のパワーを知ったのです。

また、その時期に良二が尊敬する父親が亡くなったことも大きな要因でした。

父親の口癖は
「人様のためになることをしなければならないよ」

良二はそれが、桜の木を植えることだと考えたのです。

周りの人たちから非難されながら、良二は1人で桜を植え続けました。

しかし、良二の懸命な姿を見るうちに、協力してくれる人も1人、また1人と現れます。

いつしか良二はバスの名物車掌となり、乗客の人気者になりました。

しかし、桜を植えはじめてから5年目、休みなく桜を植え続けた良二の体に異変が起こります。

医者の診断結果はガン。

それも難病と呼ばれる部類のものでした。

普通の人であれば、夢よりも体を大切に、1日でも長く生きようとするでしょう。

しかし、良二は病気で弱った体にむち打って桜を植え続けます。

自分の夢を叶えるために。

1976年、良二は47歳の若さでこの世を去りました。

植えた桜の木は2000本あまり。

相当の数ではありますが、良二の夢であった桜並木を完成させるには至りませんでした。

しかし、良二の夢は同僚や家族、また良二の志に共感した人々によって受け継がれました。

桜の植樹は、名金急行線が廃止はれた今もなお続いているそうです

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