記憶にゴザイマス

今朝、マイミクさんのニュース日記「乗鞍の怨霊」にコメントしてて思いついたこと。
またまた長くなるが記憶について書きたいと思う。(その日記にあった心霊現象はここでは省く)
催情剤
記憶その1
実際に自分で体験したことの記憶。どこまで、どれだけ覚えているかは別にして、これは誰にでもある。

記憶その2 夢の記憶。
前にも書いたと思うが、私は夢で「映像を見る」「音を聞く」ことはもちろん、「食べ物の味もし」「体で感じる」ことができる。何かが匂ったという記憶はないが、たぶん臭覚もあると思う。
つまり覚えている夢のほとんどは五感で感じ、余韻も残る。そういう夢は、忘れるのがもったいなくて目が覚めると反復し、書き残すか、友人に話したりメールしたりする。すると友人に「あなたは現実と夢の世界で、人生二倍楽しんでいるね」といわれるが、本当、自分でもそう思う。

記憶その3 作られた記憶。

映像で見たこと、人に聞いた話、自分で想像したことが記憶になって残る場合、時として、実体験の記憶と思い違いをするときがある。
娘が赤ちゃんの頃の写真を見ながら「あなたはこうだったのよ」と話したことが、時々彼女の中では「自分の体験」の記憶と錯覚することがあるという。
つまり、「私は1歳で歩き出したんだって。これがそのときの写真らしい」ではなく「私は一歳で歩き出したのよ。カメラをもったお母さんに向かって歩いていったこと、覚えているわ」ということになる。
私にもそれはある。よく祖母が私の幼いころの話をしてくれた。
今その話を思い出すと、それが祖母の話だったのか、実際に自分がやったこととしての記憶なのか、区別がつかないほどはっきりとした映像で思い出せるのだ。
勃動力三體牛鞭
最近はこういうこともあった。数ヶ月前に東野圭吾作「白夜行」を読んだ。
すると、先日、何かの折に、そのストーリーの数箇所の場面が映像のように鮮明に思い出されて一瞬「私はこのドラマを見たんだろうか?」と、いつもビデオやDVDを貸してくれる同僚に聞いたほど。結果、やはり本だった。私は、小説などは読みながら自分の頭の中で場面も描いてしまうのだが、何週間か経った私の記憶に、文章ではなく画像という形で残ってしまったのだろう。
今週借してもらったDVDは「キイナ」という菅野美穂の刑事ドラマ。
その中で、「作られた記憶」にまつわる事件を扱ったのがあり、興味深かった。
蛇足だが、このドラマは「ガリレオ」同様、実に楽しかった。

意図的に記憶が作れるものなら、自分の理想とする人生を今のうちに日記のように書いておいて、(つまり妄想)ボケだしたらそれを読んで、楽しい記憶だけでボケ人生を送るのもいいかもしれない。
もっともそうしなくても、平均的な人の思い出は6:3:1で楽しかった記憶が多くを占めるそうだ。
いやな思い出はたった一割。
人間の記憶って面白い!

朝から

不思議なものを見た。

駅から事務所に向かう途中の大きい交差点で、若い女の子が何か名刺大のものを差し出している。
あぁたぶん、近くのカフェのサービス券だな。前も別の店舗で配ってるの見たことあるし。たまにコーヒー買うからもらおうかな。
…と思いながら見ていた。その時点では私はまだ横断歩道を渡っておらず、渡ったところにその子がいて、で、青になるのを待っていた。
が。
どうも、そばを通る人が誰1人としてその券を受け取らないんだよね。
本当に、1人も。すごい通行量なのに。
どういうこっちゃと思いつつ、信号が変わったので近づいて、わかった。
その女の子は、ただ「サービス券を差し出した状態で停止してるだけ」だったのだ。
どこどこのサービス券です、よろしくお願いします、とか。
せめてにこにこするとか。
そういうことが一切なく、無表情で券を突き出したまま黙って突っ立ってる。
一瞬、人形かと思ったぜ。
やっぱりカフェの券だったが、そんな状態では受け取ろうという気になれん。
せめて「お願いしまーす」とかかわいく言えば、みんなもらってくれるよ。
…とか言うほど私の精神はおばちゃんではないし、そこまで教えてやる義理もない。
でもなー一応サービス業でしょうが。何やってんだいったい。
使えない若い子の典型かも。

気が利くかどうかってのも、要は想像力のたまもの。
自分がされたら嬉しいことをする、嫌なことはしない。それが基本だ。
それを先のことまで考えりゃ、そんなむずかしいことじゃないと思うんだけど、違うんですかねぇ。
勃動力三體牛鞭
三便宝

70年もかかってる事自体が、歴代日本国政府与党と名乗る

自民教がいかにアホであるかをあらわしているのに、

 何を偉そうに吠えとんねんリアル嘘つき詐欺師ぺてん師税金泥棒売国奴政党代表、超絶アホ安倍晋三は┐(´д`)┌

 そもそも、世界大戦、などと世界中で民度が低かった時代で、日本人は、軍隊かぶれのイケイケ超絶アホ政府により、まともに正しい情報すら得れなくされていた時の話、とは言っても、
 ごちゃごちゃ屁理屈コネたところで、喧嘩、暴力は、
「先に手を出した方が負け」なのは小学生でもわかる話である。つまり、
 「国家」による「究極の暴力」「究極の人権侵害」の、虐殺、強奪、破壊、強制、誤爆、「戦争」自体が、
 「国家による究極の「犯罪」である。」
 その究極の人権侵害、究極の暴力、究極の犯罪の戦争で、先に手を出したアホは、世界中から袋叩きにされてもしゃあないのだ。

 歴代「日本国政府与党と名乗る者共代表」の自民教が、
 「半端な謝罪」「半端な態度」を取ってきたから、ヤイヤイ言われ続けてきただけなのだ。

 超絶アホ安倍晋三自民公明教が、今さらネタで偉そうに、我の手柄、みたいにアピールしても滑稽なだけである。

 超絶アホ安倍晋三自民公明教がいなくても、
 世界中で民度が上がっていき、
 「いつまでも、世界中で民度が低かった時代のアホ親、超絶アホ政府の責任、超絶アホ政府への敵討ちを、
 何の罪も無い子供たちにまで押し付ける」という「アホ丸出しの思考」自体が、
 世界中の良識ある庶民に、認められ続けるわけがないのだ。
 それが人類の進歩というものである。

 いまだに、アホ丸出しで、「親の敵」「憎悪」「負の連鎖」を煽り、子供たちを「洗脳し」、究極の暴力、究極の人権侵害、究極の暴力、虐殺強奪破壊強制誤爆を続けているチンカス国家、あるいは国モドキこそが「人類の共通の敵である。」
 つまり、「リアル鬼畜戦争で「儲けている者共」こそが、人類の共通の敵である。」

 「限りある貴重な資源」で、「戦争するしかまともに「消費もできない」虐殺強奪破壊誤爆兵器をつくり、売り、「まともに消費もできないから」莫大な「税金に押し売り」して」
 「まともに消費もできないから」憎悪を煽り、負の連鎖を煽り、究極の暴力、究極の犯罪戦争を煽り、兵士の命、何の罪も無い女子供、庶民の命、まさに「生き血をすすって」莫大な税金で銭儲けしている者共こそ、
 「リアル鬼畜」であり「人類の共通の敵である。」

 昔の、世界中で民度が低かった時代の、世界中のアホ政府共の、「負の連鎖」を、何の罪も無い子供たちに押し付けてはならないのは、「当然の事」である。
威哥王
巨人倍増
三體牛鞭