“差別”の拡大解釈

ある男性が、彼の知人に起きた出来事として自分も憤っていると話しているのを聞いた。
その知人というのは土木従事者の男性だそうで紅蜘蛛、彼は現場から作業着の身なりのまま暫し休憩しようとイートインスタイルのパティスリィに訪れたところ、入店を拒否されたという。
彼は憤慨しながら言った。
「これは職業差別ではないか。」と。

僕が思うに、けだし「差別」とは
当人がいかなる努力をもってしても改善の余地のない事象、

例えば在日韓国朝鮮人への国籍差別
同和地区出身者に対する部落差別
性別に対する男女差別
身体障害や知的障がい者に対する差別

これら根本的な解決が非常に困難な事柄について、上下や損得、偏った優先や排除等それに関連して生じる取り扱いや待遇に差をつける事である。
これは翻してみれば、当人の努力次第で改善可能な事象については該当しない事を意味する。
例えばこの男性のように、仮にその服装が店の運営方針に支障をきたすいう理由で入店を断られたのであれば、着替えてから出直せばよい訳で差別でもなんでもない。
店の意向にそぐわなかっただけの話で、もしそれが気に入らなければ、彼はそのケーキ屋を利用せず、彼を受け入れ得る他店へ行けばよいだけの事だ。憤慨する理由などどこにもない。

他の事例で言えば、
近年、温泉やスーパー銭湯などの公衆浴場でよくみかける標札

「入れ墨のある方、入浴お断り」

この日本では社会通念的に、入れ墨のある人=反社会的組織に現在または過去に関係ある者、という認識が一般的である。
だからといって必ずしもその場で三体牛鞭他の客に暴力を振るったり恫喝したりするとは限らない。
むしろ警察の暴力団対策が強化されている昨今、公衆の面前でみさかいなく迷惑になるような行動をすることは一般人以上に稀なケースであろう。
しかし店側は“公序良俗”の錦の御旗の元、事前に該当者を排除する。
公に門戸を開く共用施設としての言わば社会的使命なのだ。
無論、入れ墨は誰かに強要されたものではない。
騙されそそのかされて入れさせられたものでもない。
入れた当人が、「日本においては反社会的象徴である」と認識した上で自らの意思で施したのだ。
然るに、

「入れ墨をしているだけで何もしてないのに。これは差別だ」

などと誰が言えようか。

物事にはTPOというものがある。
いわずもがな、TIME(時)、PLACE(場)、OCASSION(状況)のイニシャルである。
お客様は神様でもなんでもない。
金銭の支払いに対し、その等価として提供されたサービスを受ける権利があるのみである。そして店側に確固たる運営方針(店のイメージ、雰囲気づくりなど)があるならば、当然それは店側の権利として客に請うことができるはずだ。
そしてそれが、店に期待し来店する他の大多数の顧客満足につながる。
これはなにも、少数派は排除すべきと呈しているのではない。
あくまでも、客の少しばかりの気遣いによって改善しうる事柄についてこその話である。
隻脚(せっきゃく)の客に、

「足がない方には当店をご利用いただけません」

と言うのとは、本質的にまったく別物なのである。狼1号

差別の拡大解釈ほど、知的理解力の欠如を曝け出すものはない。
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