時間がないので

こりゃあ、便利だ。
産地直売みたいなものだ。
流通コスト、ゼロ。流通、手間隙、ゼロ。
しかも、自分のことを書いているので、
よくも、書いたな、あばいたな、誹謗過大禮中傷だ、と、訴えられることもない。

ただし、脳内?変換ソフトがいる場合もある。
こう思っているけれど、うまく表現できない、言葉が思いつかない、そういう場合。
えっと~、えっと~、ええっと~、なんだっけ、どういうんだっけ~
ちゃかちゃかちゃかと、チャチな脳内?検索が始まり、即、終わる。
容量が少ないから、結果がすぐ出る。
「わかりません」「見当たりません」「検索結果→ゼロ」となると、飛ばすか、別の言葉に置き換える。
少々、言いたい意味がずれても、、こだわる余裕もなく、決行。次。GO!
なので、ブログ完成度は、とても低い。

書き直したり、戻ったり出来ないので、すごいスピードで、書くだけ書いて、書き散らして、
慌てて、家の中でモノを足で引っ掛けて、散乱しても、元に戻す余裕も時間もなく、すっ飛んで家を出る。
そして、電車の中で、誤字やら、マチガイやらを発見する。
所詮、自分のブログなので、どんなにレベルが護肝食物低かろうが、文句を言うのは、自分しかいない。
文章に関しての自意識は、ほぼないのだ。

だだだ???と思っていることをキーを打って、あとは、ああ、すっきりした!!となる。
そして、いつも、「遅刻ギリギリ」と「本当に遅刻」の中間あたりで、冷や汗をかいている。
ああ、よかった、あの厳しい時間で、どうにか、遅刻ギリギリで済んで???と、ほっとする。
その、最後の段階で気が緩んで、バスに乗り遅れることもある。

で、ここまで、無駄な文字を打ったところで、今日の書きたいことが、ふと、アタマから、もわっと出てきた。
今までの入力分は、削除して、本来は、ここから、アップするのが筋だ。

↑というふうに、時間があると、こういう無駄なことに時間をうだうだ使うばかり。
ちっとも、建設的でもなければ、濃度が濃くなるわけでも、完成度が上がるわけでもない。
余裕の時間をすべて、助走の時間に使いきってしまう。


ふと浮かんだ、書きたいことは???現在の自分の居場所について。
自分というものが、はっきり見えた瞬間について。(これ、昨日、ある瞬間に、突然、見えた)

これを書いたが、この後に続けるのはやめた。
ここまでの文章の流れから、さらに引き続き読んでいただくには、もう、けっこー、げっぷ、
だろうなあと、へんに気を回した。



この残り時間からすると、ブログ更新は、絶望的だ。
なぜなら、推敲を含めて10分では、いったい、何が書ける?
それをオーバーすると、食事タイム動感單車は当然、カット、出かける時間がずれ込み、バス予定がタクシーになり、
電車も、いつもの安いほうではなく、高い電鉄会社を利用することになり、時間をお金で買うことになる。
それでも、遅刻すると、もはや、時間をお金では買えない、穴埋めできないことになる。

そこまでして、更新する必要はあるのか?
答え???は???
「必要ありません」。

意志も無い様

日蔭者《ひかげもの》、という言葉があります。人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者[#「生れた時からの日蔭者」に傍点]のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そ台北自由行うして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。
 また、犯人意識、という言葉もあります。自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠《そうこう》の妻の如き好|伴侶《はんりょ》で、そいつと二人きりで侘《わ》びしく遊びたわむれているというのも、自分の生きている姿勢の一つだったかも知れないし、また、俗に、脛《すね》に傷持つ身、という言葉もあるようですが、その傷は、自分の赤ん坊の時から、自然に片方の脛にあらわれて、長ずるに及んで治癒するどころか、いよいよ深くなるばかりで、骨にまで達し、夜々の痛苦は千変万化の地獄nu skin 香港とは言いながら、しかし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その傷は、次第に自分の血肉よりも[#「血肉よりも」に傍点]親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷の生きている感情、または愛情の囁《ささや》きのようにさえ思われる、そんな男にとって、れいの地下運動のグルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまり、その運動の本来の目的よりも、その運動の肌が、自分に合った感じなのでした。堀木の場合は、ただもう阿呆のひやかしで、いちど自分を紹介しにその会合へ行ったきりで、マルキシストは、生産面の研究と同時に、消費面の視察も必要だなどと下手な洒落《しゃれ》を言って、その会合には寄りつかず、とかく自分を、その消費面の視察のほうにばかり誘いたがるのでした。思えば、当時は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法の匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体韓國自由行が、マルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。しかし、自分も、また、堀木でさえも、なかなか除名の処分に遭わず、殊にも自分は、その非合法の世界に於いては、合法の紳士たちの世界に於けるよりも、かえってのびのびと、所謂「健康」に振舞う事が出来ましたので、見込みのある「同志」として、噴き出したくなるほど過度に秘密めかした、さまざまの用事をたのまれるほどになったのです。また、事実、自分は、そんな用事をいちども断ったことは無く、平気でなんでも引受け、へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをそう呼んでいました)にあやしまれ不審|訊問《じんもん》などを受けてしくじるような事も無かったし、笑いながら、また、ひとを笑わせながら、そのあぶない(その運動の連中は、一大事の如く緊張し、探偵小説の下手な真似みたいな事までして、極度の警戒を用い、そうして自分にたのむ仕事は、まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それでも、彼等は、その用事を、さかんに、あぶながって力んでいるのでした)と、彼等の称する仕事を、とにかく正確にやってのけていました。自分のその当時の気持としては、党員になって捕えられ、たとい終身、刑務所で暮すようになったとしても、平気だったのです。世の中の人間の「実生活」というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地獄で呻《うめ》いているよりは、いっそ牢屋《ろうや》のほうが、楽かも知れないとさえ考えていました。
 父は、桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても、三日も四日も自分と顔を合せる事が無いほどでしたが、しかし、どうにも、父がけむったく、おそろしく、この家を出て、どこか下宿でも、と考えながらもそれを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売払うつもりらしいという事を別荘番の老爺《ろうや》から聞きました。
 父の議員の任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあった事に違いありませんが、もうこれきり選挙に出る子で、それに、故郷に一棟、隠居所など建てたりして、東京に未練も無いらしく、たかが、高等学校の一生徒に過ぎない自分のために、邸宅と召使いを提供して置くのも、むだな事だとでも考えたのか、(父の心もまた、世間の人たちの気持ちと同様に、自分にはよくわかりません)とにかく、その家は、間も無く人手にわたり、自分は、本郷森川町の仙遊館という古い下宿の、薄暗い部屋に引越して、そうして、たちまち金に困りました。
 それまで、父から月々、きまった額の小遣いを手渡され、それはもう、二、三日で無くなっても、しかし、煙草も、酒も、チイズも、くだものも、いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、いつでも、近所の店から所謂「ツケ」で求められたし、堀木におそばか天丼などをごちそうしても、父のひいきの町内の店だったら、自分は黙ってその店を出てもかまわなかったのでした。