は歩きながらポルおば

「重大問題なんですよ」ダーニクは言った。「とっくみあったとか、二、三発殴りあったとかいうならまだしも、武器をとったんです」
「そんな時間はないのだ」ウルフは壁の掛け釘から馬具の皮紐をはずして言った。「この男の両手をうしろでしばってくれ。そして穀物小屋にでも入れておこう。朝になればだれかが見つけるだろうさ」
 ダーニクはまじまじとウルフを見た。
「わしを信用するんだ、ダーニク。事態は一刻を争う。こいつをしばってどこかに隠してくれ。それがすんだら台所へきてほしい。おいで、ガリオン」ウルフはくるりと背を向けて厩の外に出た。
 二人が戻ったとき、ポルおばさんはそわそわと台所を行きつ戻りつしていた。「それで?」
「出ていこうとしていたよ」ウルフは言った。「わしたちがくいとめた」
「もしや――」おばさんの言葉が宙にういた。
「いいや。やつは剣をぬいたが、たまたま近くにきあわせたダーニクがやっつけた。いいタイミングだった。ここにいるあんたのいたずら小僧がもうちょっとでつっかかっていくところだったんだ。あの短剣はみごとなものだが剣の前ではいちころだろうね」
 ポルおばさんは目をつりあげてガリオンのほうを向いた。ガリオンはぬけめなくおばさんの手が届かないところまであとずさった。
「その子を叱っている暇はないぞ」ウルフは台所におきざりにしていったジョッキをつかんだ。
「ブリルはアンガラクの上等の純金を財布いっぱい持っていた。目立たずに出発したいと思っていたが、すでに見張られていたのだから今さらこそこそしても意味がない。おまえとその子に必要なものをまとめるんだ。ブリルが自由になるまでに、やつとのあいだに数リーグは差をつけておきたい。行き先ごとにふり返ってマーゴ人の気配を確かめるのはまっぴらだ」
 ちょうど台所にはいってきたダーニクが、つっ立ってまじまじとかれらを見つめた。「ここでは物事は見かけとちがうらしい」かれは言った。「あなたがたはいったいどういう人たちなんです。それに、そういう危険な敵がいるとはどういうことですか?」
「話せば長いことなんだ、ダーニク」ウルフは言った。「だがあいにく今は話している暇はない。ファルドーにわしらにかわって謝まっておいてくれ。それからブリルを一日かそこらひきとめておいてもらえんだろうか。やつやその仲間にかぎつけられぬうちに、われわれの足跡を消してしまいたいのだ」
 ダーニクはゆっくり言った。「だれかがそれをしなけりゃならないのなら引き受けましょう。どういうことかよくわからないが、危険がつきまとっているのだけは確かなようだ。どうやらわたしもいっしょに行くしかなさそうですよ――少なくともあなたがたを無事ここから連れだすまでは」
 ポルおばさんが突然笑いだした。「ダーニク、あなたが? わたしたちを守るというの?」
 ダーニクは背すじを伸ばした。「お言葉だが、マダム?ポル、護衛もなしであなたを行かせるわけにはいきません」
「行かせるわけにはいかないですって?」彼女は信じられぬように言った。
「よかろう」ウルフがいたずらっぽい顔で言った。
「気でもちがったの?」ポルおばさんは老人に向き直ってつめよった。
「ダーニクが役に立つ男であるのはさっき証明されたばかりだ。他に取り得はなくとも、道中わしの話し相手になってくれる。あんたは年ごとにこうるさくなってきたし、百リーグかそれ以上の道のりを連れの悪口ばかり言って過ごすのは、わしとしてもぞっとせんからな、ポル」
「とうとうもうろくしたわね、老いぼれ狼」彼女は苦々しげに言った。
「まさしくそういうことだよ、わしが言わんとしたのは」ウルフはけろりとして答えた。「さあ、必要なものをまとめて出発しよう。夜はたちまち明ける」
 ポルおばさんは一瞬ウルフをにらみつけてから、足音高く台所を出ていった。
「わたしも手回り品をとってこなくては」ダーニクがきびすを返して、突風の吹きすさぶ夜の中へ姿を消した。
 ガリオンの頭の中は渦まいていた。いろいろなことがものすごいスピードで次々に起き、ついていけなかった。
「こわいか、ぼうや?」ウルフが訊いた。
「ううん――」ガリオンは言った。「わからないだけだよ。何がなんだかさっぱりわからない」
「そのうちわかってくるさ、ガリオン。さしあたってはわからないほうがいいかもしれん。われわれがしていることには危険がつきまとうが、危険といったって、そう大層なものではない。おまえのおばさんとわしとで――それにもちろん善人のダーニクも――おまえに危害がおよばぬように気をつけてやる。さ、食料室で手伝ってくれ」ウルフはランタンを持って食料貯蔵室にはいると、パンのかたまりやハム、丸い黄色いチーズ、ワインの瓶数本を掛け釘からはずした袋につめこみはじめた。
 ガリオンに正確な判断がつくかぎりでは、かれらが静かに台所を出て暗い中庭を横ぎったのは真夜中近かった。ダーニクが勢いよくあけた門のかすかなきしみがやけに大きく聞こえた。
 門をくぐりぬけるとき、ガリオンは一瞬胸がしめつけられる思いがした。ファルドー農園はかれが知っている唯一のわが家だった。そこを今、もしかすると永遠に、出ていこうとしている。そういうことには大きな意味があった。ズブレットを想って、かれの胸はいっそう痛んだ。ドルーンとズブレットが一緒に干草小屋にいる姿が思いうかぶと、一切をとりやめたい衝動にかられたが、今となっては手遅れだった。
 農園の複合建築物の保護林を抜けると、冷たい烈風が吹いてきてガリオンのマントをはためかせた。厚い雲が月を隠し、道路は周囲の畑よりわずかに明るいだけだった。ガリオンさんにもう少しすりよった。
 丘の頂上までくると、かれは立ちどまってちらりとうしろをふり返った。ファルドー農園は後方の谷に沈む青白いかすかなにじみでしかなかった。名残りおしげにガリオンはそれに背を向けた。前方の谷は黒々として、道路さえ一行の前にたちはだかる闇にとけこんでいた。