もしもあの時…という言葉は何の役にも立たない

幸せはほどほどがいい。
幸せすぎると、不幸がきたとき、三倍にも五倍にも思えてくる。
もしもあの時…という言葉は何の役にも立たない。
こう言ったのは、脚本家の岡本克巳氏です。
哲学者ショーペンハウエルも「自殺論」の中で似たようなことを言っています。「不幸とは、幸福を知ったも者が感じるのだ」と。

歴史上の人物で、断然人気があるのが織田信長だそうだ。私は嫌いな人物の一人です。
もしあの時…といえば、本能寺で明智光秀にやられていなければ、秀吉、徳川の時代は来ず、いきなり開国をし、外国との交流が盛んにしただろう、とその死を悼む人間が多いかもしれない。
果たしてそうだろうか、と私は疑問に思う。織田信長は慧眼のある勇敢な武将であったかもしれないが、民を思っての言動をなしていたとは思えない。伝法な男である。
─人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることは難しい。
これが本来の意味であっても、実際は、
─為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民に分からせる必要はない。
としている権力者がほとんどではないだろうか。信長も例外ではない。

昨日の小沢しの裁判でも、「我は天下国家の問題に集中しており、それ以外のことは何も知らぬ。秘書に任せておる」と逃げている。
これが昔ながらの為政者のスタイルではないだろうか。
許せるものではない。

もしもあの時…はないのである。
せいぜい、他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べることぐらいしかできない。そうして明日の抱負を述べるだけで精一杯である。

子供と孫たちと同居して一年になる友人が先日電話をしてきて、
「今、誰もいないの。留守番しているから」と声をひそめて言う。誰もいないなら、遠慮はいらないはずなのに、電話の向こうで目があたりを伺っているのが分かる。このひと言で、今の生活が見えてきました。
小樽の一人暮らしの家を取り払って、優秀な孫たちのために札幌という都会に住居を移すことを決意するにあたって、まわりの友人から相当反対されたようです。私もその一人で、親子の距離はとれないもので、喧嘩別れになっても、帰る家はもうない、と助言したけれど、自分の子供たちに自信のあった彼女は、貸す耳を持っていなかった。きちんと姉弟家族が相談し合って決めたことだから間違いはない、の一点張りでした。
それが今になって…もしあの時みんなの意見を聞いていたら、などと言われてももう遅いのです。親子関係というものは、割り切れないもので、一番難しいものです。

今朝はなんだかややこしい問題から飛び火してまとまりのない日記になってしまいました。ごめんなさい。
徳国黒金
蔵秘男宝