結婚は「犯し合い」

親鸞のおしえにみる蟻力神(第五代)

「結婚とは、しなくてもよい苦労や苦しみを相手に押し付ける、つまり犯し合いなのです。男が女に、女が男に対しても、相手の人生でしなくていい苦労をさせている加害者の立場にある、その自覚をもっているかどうかなのです。それが、親鸞の言葉でいうと『悪人』ということにもつながるのでしょう。自分こそ悪人だと自覚していることが救いにつながるのです」

「夫婦は“所有関係”ではなく、互いに因縁があって一緒に生活するということ。いろんな愛があるのでしょうけど、自分の都合のいいところだけをとろうとしたり、自分を犠牲にして相手に尽くそうとしたり、そういうのは必ず破れるのです。だから互いにゆるし合い、levitra敬い、愛し合おうと」

 親鸞は、妻に対して「観音菩薩の化身」として接していたという。そして妻も、後に娘に宛てた手紙によると、親鸞を観音菩薩とみていたというのだ。

「自分のなかにあるおぞましさを鏡のように照らし出してくださる方として、夫や妻を観音と擬人化している。結婚というのは、赤の他人が出会い、身内以上に親しい、一番近いところで生活する。そのときに『浮気してやろう』だとか、夫婦げんかだとか、いろんな煩悩が起きる。そのゴタゴタによって自分のなかの悪人性、相手を傷つけるような気持ちなどが見えてくる。相手はそれを見せてくださっている観音菩薩だということです。結果論ですが、恐らく親鸞は結婚することによって初めて、蔵八宝自分を学ぶことができた。人間というものがどういう生き物か明確にできた。そうして互いに鏡にしていたのではないでしょうか」
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