真と仮、人生の目的と生きる手段

真・仮を知りざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。

真(なぜ生きる=ビグレックス人生の目的)と
仮(どう生きる=生きる手段)が明らかになるのは同時

『本当の人生の目的を知らないから、"よくぞ人間に生まれてきたものぞ"の生命の歓喜(かんぎ)がないのである』

"真"とは人生の目的であり
"仮"とは、生き甲斐や趣味、目標などの『生きる手段』のこと。

『目的』と『手段』のケジメのつかぬのを、『真仮を知らざる』といい、生命の大歓喜の失いのを『蔵秘雄精如来広大の恩徳を迷失す』と言われている。

『真』と『仮』の区別は、無明の闇が死んで、真仮を知る心の生まれる『一念』のときでなければ分からないと言われる。

たとえば、夢で火災にあい、必死に逃げる。ビルの屋上に追い詰められて、もう駄目!と覚悟したとき、汗びっしょりになり目が覚める。

なんだ、ゆめだったのか、と知るのは夢が覚めたときである。

夢の中では、夢が、夢と分からない。
ましてや、覚めた世界など知るよしもない。
夢さめたとき、夢と現実が同時に明らかになる。

夢を"夢"と知るのは狼一号夢から覚めたときであるように、"仮"を"仮"と知らされるのは、"真"が明らかにされたときである。

真と仮が明らかになるのは同時なのだ。

如来広大の恩徳(おんどく)に生かされ、生命の大歓喜を得た一念に『人生の目的』が知らされる。

同時に、生き甲斐や趣味、目標は、この『目的』を果たす手段であった、とハッキリするのである。

私は…死ぬ直前かな。真と仮を知るのは。最期まで気づかずに天命を待つもあり。『真仮を知らざる』それも仕方ないことと思ってます。気づかないな多分。

著書『なぜ生きる』から頂点3000一部省略して抜粋しました。
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