こんな世界なら子供たちも殺しあうわ

少年法への意見と、金儲けは違う。毎回何かあるたびに、法律を超えて実名や写真掲載で雑誌を売ろうとする週刊誌。本当に法律に異議を申し出て、社会的にメッセージを届けたいなら、自腹を切って、自らの身を削りやったらどうか?つまり無料で印刷物をばらまくか、雑誌のホームページでアップすりゃあいいだろう。子供たちだって10代中後半になれば、俺たちの顔をさらせば、大人たちはそれに乗って購入する程度のことは見抜く。
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つまり、子供たちに自らの中にうずく残虐性を、まだ養育されている段階の子供が暴発させることに、大人たちの眠れる残虐性は目を覚まし、むけられる。
「「うわあ、俺たち大人たちに殺されるよ。愛情とかあんなの嘘だろ?口先だけの方便だ。どれだけ手間隙かけたか、金をかけたか、その分見返りがなければ許さないってことなんだ。俺たち子供たちの内輪の事情など、わかろうとはしない。大人たちは、『わかってたまるか!お前たちの経済的奴隷に俺たちはなってんだ!身体的精神的奴隷にお前たちにはなってもらう!』そう言っているように俺たちは感じるんだよ。金儲けで忙しい、損得で生きる上で、自分たちに有益ではないガキなんてめんどうだ!ってそっぽを向いているような大人が、殺し屋の目で俺たちに向かってくるんだぜ!?俺たちには未来なんてねえよ。なあ、なんとかこの世の中から離れようぜ!」そう子供たちは画策する。
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この自分たち子供たちの顔をさらし、金儲けする大人たち、そして八つ裂きに殺そうとするかの読者や視聴者の大人たち。遺体発見現場に、狂ったように積み重なる顕花の山にそれを感じる。マスコミに大きく報道されないだけで、私たちのそばに、同じような状況の現場がどれだけあるだろうか?マスコミが報道することが世の中のすべてではないし、枠と時間を埋めるためだけにマスコミは報道し、あくまで金がもうけられる対象を最優先にしていることを忘れてはならない。

精神的な病を抱えた人々が集う私の職場では、今回の被疑者、被害者のような過去をもった多くの人々が集う。誰も彼もが親や大人の犠牲者であることが、綿密に詳細に語られる出来事からわかる。子供たちを損得ではかり、サンドバッグにするためにつくったかのような光景が目にうかぶ。恐ろしいことに、親に話を聞くと、それらのことがあったのは覚えているが、まったく子供に生きる上での障害となるとは露にも考えていなかったことだ。「社会ってつらいんだよ。くるしいんだよ。それを教えて何が悪い?」精神的な病を抱える子供の親はそう力説する。しかし、別な親、健全に社会生活を営む親は「どうだっていいんじゃないんすか?良い加減でないと必ず狂いますよ」とケセラセラだ。